覚者慈音823  光明論上巻 巻の三  101番  教主寛大講義 頭腹一体の理

覚者慈音823
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の三     
此書の眼目、此教への一大事を説く
  
                  教主寛大 講述
                  2019.2.07
                      第101番


 子供は親を偉しと思ひ、親は村長を偉しと尊敬し、村長は代官を、代官は大名を、大名は将軍を、将軍は帝を、帝は神を敬ひ尊ぶならん。然して子供は帝の尊さを知る能はざるべし。宇宙と全宇宙の相違は斯くの如き関係なりと思はば諒解せらるるならん。故に宇宙を小児と思ひ、全宇宙を神と考ふれば帝は空源力即ち神通力に相当せん。此理より推知すれば宇宙は平面自然にして、全宇宙は立体自然とも云ひ得らるべし。さて此自然に順応して修得せしめたる魂魄の智慧の鏡は、頭腹一体の関係によりて同時に磨かれ行くも、即ち自然の現はれ自然の力に依ると云ふ理もさとり得るならん。魂のみ磨き魄のみ磨き個々別々に磨くは頭腹一如の境涯に入り居らざる結果と云ふ事も併せ覚りたるならんと我は信ずるなり。兎角人は他人よりも一段なりともその地位の高からんことを望むは平面自然より受くる特性にして、所謂向上の道とか発展とか称して奮起す。他を落して自ら是に代らんと計るも亦是あるによりてなり。すべて地球の空気は上昇する如く人の心も上昇せんとなすによって脳へ脳へと気力が上るによって腹は忘れがちの状態となるは是非もなき。気の上るを引き下げざるにより、後より次第々々に新しき気が加はり来りて集合し、ざわめき騒ぐ。是が即ち雑念妄想となるなり。故に是等を出で来りし腹なる家に返さば、頭は静寂となる。汝等はよく謙遜と云ふ言葉を用い居れども大概は偽りの謙遜者多し。表裏の謙遜はなすべからず。人は低きを厭ふを知りて、反対の策略にて高きに上らんが為の謙遜は卑怯なり。是等も平面自然にすら合はざるなり。口と行ひは一ならざるべからず。故に迂闊に口外すべからず。されば一旦口外なせし事はあく迄実行にうつすべし。言行一致は平面自然にして不言実行は立体自然の理にも通ず。世には何事に対しても人より依頼さるれば快く受けがひて果さざる者多し。斯る事は慎むべき事なり。己の信用を欠くのみならず依頼者の迷惑は一方ならざるべし。四海兄弟と思ふは平面自然にして四海一体と思ふは立体自然なり。自他一如となる迄の錬磨を要す。即ち第三の修行とは四海人類はおろか、一切衆生悉皆一如の工夫なる事とさとりて究めざるべからず。所謂他人も我なり。禽獣虫魚悉く我なりと、心の底より感ずるに至らば修行は達成を見たるなり。是等は云ふべくして行ひ難き教へならずやと云ふ者多からん。されど我、汝等に教ゆるに成らざることを説きて何の益あらんや。汝等は是をなすには大なる心の悩みあらんと恐るるに依てむづかしく考ふる故なり。是を行はんと決心せば必ずなる。尻ごみすればならざるなり。我に此講に説きたる如く、第三の鏡にて挫折する者多しと説きしは此処なり。汝等去るか、決心して進むかは汝等の意志に任せ、我は従ふ者の為に講を進べし。

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