覚者慈音822  光明論上巻 巻の三  100番   教主寛大講義 頭腹一体の理

覚者慈音822
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の三     
此書の眼目、此教への一大事を説く
  
                  教主寛大 講述
                  2019.2.07
                      第100番


 
 まこと正しき自由とは神の作られし大自然に帰せずんば得ることを得ざるなり。汝等の自然の考へによりて犯せる自由は我儘なり。神の自然より許されて得たる自由は行ひてならざるなく、求めて得られざるなく、望みて叶へられずと云ふことなし。汝等の自由は圧迫つきの自由にて是は悪し。是もなすなかれとの命令の下に得たるなれば自由にあらずして不自由主義なるべし。汝等は虎に草のみ与へ、兎に肉を与ふるに似たる自由主義を鼓吹するとも空しきに終るならん。神より受くる自由を知らんと欲する者は、自在論より光明論に至る迄の書を熟読玩味せば明らかに知ることを得ん。
 汝等は不自由にして二本の手を有しながら、二つの事を同時になすことは能はざるなり。即ち汝等の心は物に囚はるれば直ちに縛らるる弱きものなれば、ここに棄執着の大切なる道理あることも亦見のがすことを得ざるならん。一に心をおけば一に止り、二と三と重ぬれば心は混乱す。斯ることのなからしめんが為に魂魄一体ならしむる修養を示めして汝等に学せしめんとなし居るなり。汝等は知る如く偶像の中に千手観音として多くの手を有するを見るならん。汝等二本の手さへ意の如くならざるに、観音は千の手を自由自在ならしむる智慧ありとならば其偉大さに驚嘆するならんも決して是は虚偽にあらず。千手は愚か万手の手にて一切を救ふを得ざれば神通力とは云ひ難し。汝等は是を不思議と考ふるならば未だ信仰うすきに依てなり。宇宙と人類の一体関係を未ださとり知るを得ざるによりてなり。汝等は機械のみたより居れども、宇宙にその準備なくして応ずる事なくんば機械は玩具に等し。されど是に応ずべき具へあるによりて科学者は道を求め得るなり。汝等此理を知りて宇宙と同化するに成功せばすべて行ひてならずと云ふことなく、汝等こそ人類科学の先駆者として自他共に許し許さるるに至らん。宇宙と同化せば機械を要せず大抵の事はなし得らるべし。即ち智慧の光明に浴さずば千言万句も甲斐なけん。人間にも機械と同様のはたらきを有する設備ありて、働せかた法にかなへば是に応じて活躍することは行法秘伝にて説きたり。汝等が中にも種々様々の法を行ひ居る者もあらん。其はその法が宇宙と同化したるにて不思議にはあらざるなり。宇宙と同化すると云ふは自然にかなえる故なり。されど平面自然と立体自然との関係の相違にて顕著なるとならざるとの相違はまぬがれじ。宇宙と同化するも亦全宇宙と同化する者の相違は、汝等に理解せしむるは甚だ困難なれば略すべし。されど是にはいささかたりとも知りをかずば、自然の理を曲解する恐れあるを以て、いささか参考迄に例を引用して語りをかん。

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