覚者慈音821  光明論上巻 巻の三  99番  頭腹一体の理論 教主寛大講義 頭腹一体の理

覚者慈音821
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の三     
此書の眼目、此教への一大事を説く
  
                  教主寛大 講述
                  2019.2.07
                      第99番


 汝等の自由主義は我儘気儘の事を行ふも何等の干渉何等の束縛を受くることなく行はるるを自由と誤解しあるならん。是は世を害する悪思想と云はざるを得ざるなり。放任主義として個々別々の観察より行ずれば迷ひは生ずるなり。例へば時計を別々にあはせをけば時間を知る能はざるべし。然らば他人の迷惑にならざる範囲にて己の欲する儘に行ふは如何にと云ふに、是にも一得一失は免がれじ。汝等の国は表面は立憲政治にて裏面は個人自由主義なるによりて敗戦の憂目を見たるに徴してもあやまれる自由主義は成立せざるなり。民主々義、国家主義、社会主義、共産主義等々に依りても一利一害一得一失は免がれざるは、みな平面思想より生じたる結果による。同じ共産主義なれど第二世界の如く立体的なれば永久平和は持続成立なすなり。民主主義に於ても同様なり。是等を詳しく語り居らば我の講義の本質は失はるべければ略す。さりながら自由については少しく語らずば此講義の本質を把握すること能はざるにより今少しく語るべし。
 汝等赤子が自由に這ひまわるを見て、是に自由を与へをかんとせば玩具を与へ部室を閉め切りて何れに行くも安全ならしめての後にあらざれば自由を許さざるならん。是が果して赤子が満足すべき自由なるかを考へ見よ。是満足の自由にあらざるならん。汝等が思ふ自由とは半束縛半自由なり。真に正しき自由ならば決して斯ることあるものにあらず。汝等は赤子にゆるす自由は監督に監視つきの許可ならずや。然りとせば汝等が国家より許さるる自由も監視つきの自由ならん。其が果して正しき自由となすならば民主主義国家主義共産主義に至る迄監督監視つきとなり行くは是非もなき結果ならずや。若し此監督監視者あやまりて依怙の行為をなさば、主義主張は如何なる変化を来すかを考へみよ。汝等が国の天皇を現人神と仰ぐならば、天皇は正しくして決して依怙の政治をなすことなかるべし。然るに目標として従臣の云ふがままの政治を行へば焉んぞ国安かるべき道理あらんや。国民に自由を与へず束縛も亦不可なり。昨日迄は武士道の教育にて育てられ、明日より民主主義教育を受くる小児こそ政治家の玩具となるは不憫ならずや。汝等の世界は猫の目の如く刹那々々の都合にて行ふ自由は政治家に与へられ居るとは、自由と云ふ事の認識を把握し居らざるなり。国の政権を掌握するを条件のもとに国を売りたる政治家もあり、身の安全と富を得んとて軍を売りたる軍人が、今後は民主主義を鼓吹して国安かるべき道理あらんや。汝等迷はさるる勿れ。
 

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