覚者慈音819  光明論上巻 巻の三  97番  頭腹一体の理論 教主寛大講義 頭腹一体の理

覚者慈音819
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の三     
此書の眼目、此教への一大事を説く
  
                  教主寛大 講述
                  2019.2.03
                      第97番


 即ち胸には前述の如き働きあるを以て、頭脳にある魂と腹部におさまる魄との調和を計る場所と観察すればあやまちなし。是にて胸に問ひ胸に答へての理も明白となりたるならん。汝等の平素は腹二分頭八分に使用しあるを以て、仲介者の胸は従って頭に順ぜざるを得ざる結果、胸は思案するが如き様を呈しあるなり。此理より観察判定を下し見よ。たとえ腹に総てを委ねたりとて胸は第三者の地位に置るべきものにあらざることを覚るに至らん。汝等是に依ってすべてを腹に任せて敢て差支なきことを知りたるのみならず、腹に魄を止めをかば魂は如何に外出して活躍なすとも魄に任せをかば可なりとの道理も会得なせしならん。然のみならず魄は家を守り、魂は外に活躍するの道理も知りたるならん。さればすべてを腹に任せよとテッシンの教へは理解することを得たらん。又頭を休めたりとて魂は決して休止なすものにあらざる事に迄、意を用ゆるに至りしならんと我は信ず。休めよとは心にのみ下僕の如く追ひ使ふこと勿れと云へるにて、即ち心に無用の働きをなさしめて騒がせず、平にして静に大切なる業務に従事せしめよと教ゆるなり。汝等は口にのみ沈着とか或は冷静にとか称へて実行せざるは腹任せを知らざるか、或は知りて行はざるかによる。斯る例をあぐれば枚挙に暇なし。汝等理解して信ずるを得たらば後と云はず直ちに実行して魂の鏡を磨けよ。斯くなすことによりて脳胸腹の三味一体は得られて肉体全く整ふにつれて鏡の光勝れば魂魄の鏡は完全に活動(はたらき)を始むべし。今教へられて直ちに行ひ得ることは食事して腹を充たすのみと云ふ者あれど、其にすら喰ふべき時を有す。ましてや他の事に於てをや。汝等急がず騒がず慌てず、沈着に実行して怠る勿れ。魂魄共に磨かれて光明に輝けば霊光の徳は次第に顕著なるに依て自づと感じ来るは天界自然の姿なり。自然の姿によりて諸々の有様は偽はらず映じ来る。是を天眼通地眼通とは称ふるなり。斯くならば人間の道は達成に近くして其後は下り坂を歩むに等しく易々と歩みは進めらるるなり。他人我を欺き陥れんとなすとも忽ち看破して臨機応変の処置をとることを得るのみにあらず、悪魔にすら犯さるる恐れも無きに至らん。

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