覚者慈音818  光明論上巻 巻の三  96番   伊東慈音 教主講義 頭腹一体の理

覚者慈音818
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の三     
此書の眼目、此教への一大事を説く
  
                  教主寛大 講述
                  2019.2.03
                      第96番


 胸に問ひ胸に答へてとか、或は彼は度胸の強き者なりとか云へる言葉にある如く、胸には心臓とて心の蔵或は神の蔵とも称するあり。又肝臓も感ずる蔵と記す程の大切なる場所なり。神の蔵感ずる蔵とある以上又心の蔵とある以上精神上には大切なる箇所に委せずして何故に腹にのみ任かせよと教ゆるやとの疑問はもとより当然なり。是について理由あることを明らかならしむべし。其に先だち先づ汝等が心得をくべき二三の注意を与へをくなり。
 第一心臓についての注意なり。汝等病みて医師を迎へし時医者は先づ脈拍を見て力を計り、其と患者の容態とに依て予め病気を予測するならん。是心臓が身体にとって最も重要なる働きをなし居ることを知りをくべし。
 第二、肺についてなり。次ぎに医者は聴診器により肺活量と呼吸の数を計り、脈との調和の関係などを詳しく調べ、然して病状の様を適確に定めんことを計る。
 第三、眼によって肝臓の打診の結果などを知らば舌と検温器しによって熱の有無を診る順序となる。我、胸の原理を説んするに先だち、斯る明瞭なる記録を汝等に喚び起させんとなしたるには大切なる必要ありてなり。
 深山幽谷に在りて種々様々の修法を研究なし居る者の中には脱魂の法とて仮死の状態に入る行あり。是は心臓肺臓の機能を停止せしめ絶脈無呼吸にて一見死人の如き状態を呈する術を行ふ者も少なからずあり。常人の中にも特殊の天分を有する者には習はず行ぜざるに是を行ふもあり。是等は血族性因果による者に多く見らる。又武術の中に「一時ねかせ」とてあて身と称する法にて相手を少時仮死の状態に陥らすことも行はれ居れり。斯ることは無益のことなれども鍛錬する者の熟知しをくべき必要の参考となるに依て心得をくべき事柄なり。汝等は是を聞きて其は呼吸を閉塞せしむる結果、脈は上がるのみと一口に云ふならん。されど斯る極端なる考へ方をなすことは修行の上に於て誤差を来す恐れあり。唯窒息状態なれば分時にすぎず。されど行の優れたるは一日長きは三四日を持続するを見ても、一時の窒息と考ふることを得ざるべし。行者はこれを留魂離魂の法、単に脱魂と称へて行ひ居るなり。即ち解脱して天上界の模様を探らんと感じて斯ることをなし居るなり。然れども天界は斯る業を行ひたりとも見ることを得ざるなり。汝等斯ることに迷はさるること勿れ。是についての理は先にテッシンが放心法にて示めしたるあれば参照せば明白に知ることを得べし。

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