覚者慈音817  光明論上巻 巻の三 95番 此の書の眼目、一大事を説く 教主寛大講義

盲目の老師 伊東慈音の画像    三世と四世論より転写
僕は神棚の近くに坂井哲子先生と並べてこの慈音師の写真を飾っている。今頃慈音さんは天使としてこの地球の成り行きを監視し、そして日本国を守って居られるのだろう。慈音さんを呼べば必ず通じる。貴方も祈ってみては如何でしょう。



覚者慈音817
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の三     
此書の眼目、此教への一大事を説く
  
                  教主寛大 講述
                  2019.2.03
                      第95番


 セイキョウとテッシンも人と宇宙は同様なれば同化せよと教へたるを汝等は忘るることもあらざるべし。されば此鏡は汝等にも具備はりあるを以て、智慧の光明は汝等が身の上にも輝きあるを知ることを得ん。然るに汝等は此理を弁へざるにより、我程因果なる者はなしとか、何の因果で斯くなりしかとか、宗教の因果論をはき違へ居る者の多きは実に遺憾なり。原因あるに依て結果は得らるるなり。己悪き種子を蒔き、悪き肥料を施し悪き実を結ばせて我程因果なる者はあらじと他人に語りて嘆きともつかず訴ふるは恥を知らざる讒語にて何等同情の余地もなかるべし。世には親の因果は子に報いてと云へる例少なからず、此報はれし子こそまことに不憫なり。故に汝等悪行を行ひて子孫に残すに至る如き因果の報いを残さぬ用心肝要なり。血族性遺伝等の因果は二代三代と重ぬるごとに因果は増大せん。大凡因果の道理は歴然として私なし。私なき自然に順応して歩行を進むるを正となし、是に反するを悪と考へてすべてを処理せば可なり。天に唾せば己にかかる道理なり。自ら求めて自ら苦しみを招く。即ち自然を逆用すれば自ら苦の因(たね)を蒔きつつあるなり。
 眼に見ゆるものは、見えざるものに左右されて働かさるるは何故なるか。汝等の肉体は心を労し居る如き感じを抱かせ居れども、事実は無形のものが肉体に要求せしめ居る結果なるべし。もし肉体を取りさりて此要求をなさしむるならば無形の対立となる。即ち零点零として、点を肉体と見なし、点を外せば零対零となるに等し。動物の反射作用は零対零の対立より起る現象なり。汝等の修行に於て第三の明鏡迄は一種の希望に誘引されて進み来りしもここにて挫折する者きはめて多し。此験(ためし)を首尾よく乗り越ゆれば前途の光明は汝等を抱擁せん。挫折せず苦難に堪えて坂を上るべし。池水の月を捕んとして水に溺るる勿れ。悪魔は汝等の隙と油断と倦怠を狙い居れば鍛錬を怠らず行ひつつ我教へに従ふべし。

 亀は戦はずして身を守り、鼈(スッポン)は争ひて破る。是天分を知ると知らざると智慧あると無きとに依る。汝等彼等に教へられて学する処すくなからざるべし。されば是等に依て善因には善果を得、悪因には悪果を結ばするの道理もさとりしならん。頭腹一体の法にて得る処の大切なる事は既に教へたり。さりながら汝等は腹に気力を充たさんとして丹田迄至らせず、胃にのみ力をこめ居るもの多きを見る。是あやまりにして肉体の健康上有害なれば胃は常に柔らかくして臍下に気をこむるを要す。胃に力を入るれば却って頭脳を混乱せしめて肩をこらす故呼吸器を害す。
(初心者には玩具のをきあがりこぼしを見せて工夫せしめよとテッシン貴尊は我、慈音に仰せられたり。故に此処に記しをかん)
 我今呼吸器と云ひしことより汝等は頭を腹に任すれば胸部は如何になすべきかとの質問あらんと思ふが故に是等も詳しく説明すべし。

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