覚者慈音794  光明論上巻 巻の一  72番   テツシン貴尊講述

覚者慈音794
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の二     
        
                         
                  テッシン貴尊講述
                  2019.1.24
                  第72番


教主、曰く、


 「無極無辺の霊界に入りたる汝等はあまりに広大なるに驚きて、却って希望を失することあらば迷ふのみなれば希望を益々広くせよ」


 汝等は小さき胸に小さき希望を抱きて霊界に引き上げられしも、あまりの広大無辺なるに今更茫然としてなす術、施す術を知らず眼をみはるのみならん。汝等が口にする、「井中の蛙大海を知らず」との引用は遠く遙かに及ばざるべし。汝等ここに至って唯驚畏の眼を見はるのみにては行はなり難く迷ふのみにて何時かは浮ぶ瀬も見つからざるべし。されば今迄持続し来れる希望を捨て、更に新しき希望に変じて燃ゆる如き熱情を以て迷はざる道に邁進せざるべからず。今迄の希望にては到底成就は成り難く、又誤算しありたるなれば方針を一変して進むべき方法を工夫する要あることを汝等も痛感するならん。汝等はお伽の如く思ひ居たる仙人は雲に乗りて大空を自由自在に駈けめぐると云へるを今汝等はなしつつあるにてはあらざるか。汝等は下界に肉体ををきて霊界の門に入るは即ち下界より霊界へ飛行し居るなり。さればこそ霊界を明白に知るを得たるにてはあらざるか。是によって思ひを廻らさば知らず知らずの間に飛行術は取得なしたると云ふも、敢て不思議となすに足らざるなり。お伽噺と思ひしことも今は事実に現はれ居るにてはあらざるか。見よ! 霊界の広大にして何処に行くもとがむる者なく自由を束縛するなわめはあらざるなり。かるが故に生老病死苦はあるとなければ喰ふ要なく纏ふ衣服の心配なく、然して死することなき実に住み心地よき処ならずや。汝等は肉体本位に希望をなすに依ていささかの事にも彼是と思ひ惑ひて霊を考へず、空しき日を過しつつありしなり。一匹の蚊になやまされては蚊帳よ、線香よと騒ぎ立て、食少なしとて血眼に東奔西走なしつつありては修行も身に添はざるは当然なり。教主は是を憐みて希望を広く高くせよと申されたるは、汝等をして今少しおちつきを与へて思慮分別をなさしめんことを教へられたるなり。霊界は広し。地球の如き小さきにありてすら斯くも慌はてふためき日々を不安にて暮し居りては、霊界に入らば又も途方に暮れんことを慮って希望を広く高く大きくして今一段おちつきて考案工夫せよと教へられたり。汝等は常に食せざれば死し食するも亦死す。一度死すれば二度とは死せじ。生命は軽く任務は重しと公言し居るを聞く。然るに現在の状態は如何? 汝等は餓死するは恥辱と考へるに依て斯くも血眼に食をあさるか。否々然るにはあらざるべきを我は知れり。即ち真の生死を明らめあらざればなり。汝等云ふならん。霊あるが故に食を求むれども死を厭ふがためにあらずと。そは汝等の負け惜みにて事実は死を明らめあらざるなり。真実生死を明らめたるならば食するも食せざるも悩みとはならざるなり。任務を怠りて報酬を望むは汝等の姿ならずや。如何でたやすく生死を明らむるを得べけんや。斯る小さき 肉体を早く見限り、霊界に大なる希望を抱きて生老病死の苦より救はれんことを考へよ。然らば肉体を有するとも有せざるとも別段苦にもならざるべし。されば自殺するにも及ばず。生くれば生き、死すれば死すとも厭ふことの心は生ぜず。此境涯に達して初めて真の生死は明らめらるるなり。即ち雨降らばふれ風吹かば吹けの観念覚悟となるなり。生きるも死するもすべては神任せ仏任せとして己に架せられたる使命を果し居れば、餓死の責は負ふべき罪とはならざるべし。

×

非ログインユーザーとして返信する