覚者慈音55  未知日記講義第一二巻  大霊界 選魂所とは如何なる処か 巻の壱  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界  巻の壱                                NO 15       

選魂所とはいかなる所か    昨日の続き
                      教主寛大講述



 すべてを肉体にまかせ居りて精神に養ひを送らず、徒にその大切なるもの、精神を発育せしめずば、肉体と共に消えゆくの他なかるべし。さりながら魂は不滅なるが故に枯死せず。発育せざる魂がしをれて枯るることもならず、長ずる事もならずして宙に迷ふ。是を浮住界に苦むと云ふなり。我、斯く語るとも事実の体験を見ずば諸子は到底信ずること難からん。信ぜずとも可なり。迷ふものは迷ひ、迷はざるものは迷はずして到るべき所に到る。是等の道理を正しく認識せんとならば先づ肉体の一生を考ふることなく、精神の方向に足を向けよ。百才と限られたる肉体ならば、百才にて終はりとならん。一粒の米を田に下さばその一粒が万粒を残して、汝等衆人の養ひとなり居るにてはあらざるか。汝等衆人は一粒の米なり。その肉体亡ぶるとも万粒の米を残す人とならんとは考へざるや。この理を認識把握せよ。然らずば霊魂不滅の理は知ること難し。汝等衆人はかかる手近のところにさへ真理のある事に何故着眼せざる。一人の人間より万人、万人の人間より億人となりたるによって、その国土に生をうけて国土の人間が繁殖したるにはあらざるや。其が次第に影を没してその国土の人種が全く影を失ひたる如く思はるれど、他国人と交はりてその姿形が異なるとも、はじめの国土の人種の影は、異国人にもうつりて、その流れが永久絶えやらざるなり。是等の道理は諸子もうなずき知るところならん。然るに諸子はかかる事にも考へをめぐらさざるによって、霊魂不滅の道理を認識することを得ざるなり。
 其は別として兎に角洗魂所に移されたる魂を此所にて改造して、適所々々に配分せんがために、皆其々組織せらるる所なりしと知らば可なり。例へば一台のラジオのセットと見なして考ふればうなづくところならん。ラジオのセットが場所を変へる時は、用をなさざる場合もあらん。是を改造するにあらざれば聞えざる如く、魂に於ても同様の関係あるによってなり。所謂下界に於て任務なし居りし魂が引き上げられて天界の任務をなさんとせば、其相当の方法を用いて改造するにあらざれば用は便じ難し。故に選魂所にてその組織を作りて役目を果さしむるに、便ならしめんと計る所と知らば可なり。下界に於て肉体を有する間に天界に至りても、役立つ魂に組織しをかば、洗魂所にて洗はるる必要もなく次に移さるる事を得るによって、直ちに次の所に運ばるるなり。故に霊魂不滅の事柄を肉体を有する間に早く悟りなば迷ふこともなく、如何なるところに引き上げらるるとも動ずることはあらざるなり。霊魂不滅の理を知るにあらざれば、学すべき方法を理解することあたはず。されば衆人は霊魂は不滅なりと思ひて学すること肝要なるべし。たとひ滅すると滅せざるとに不拘、先づ不滅なりとして学しをかば、肉体滅後ののち迷ふことあらざるが故に、其だけ利益を得るならん。滅すと考へて迷はんよりは、先づ不滅と考へをく方は利なるべし。此書を読むもの軈ては不滅の理を知ることを得るならん。兎に角不滅なりとして学すべし。遠しと思ふ未来は遠からず。肉体は軈ては亡ぶる時節到らん。其後に及びて狼狽すとも既に晩し。よって未来を考へをきて行じをかば可ならん。

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