覚者慈音54  未知日記講義第一二巻 大霊界 巻の壱 選魂所とはいかなる所か  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界  巻の壱                                NO 14                              選魂所とはいかなる所か 
                    
                     教主寛大 講述



 動物性を捨てて人間性となり、然して人間性をのばして更に選魂所に移さるるは順序なり。読んで字の如く選魂所とは稔りたるもの、稔らざるものの区別を測る所にて、謂はば試験を受くることにて、此所に於て合格したるものは次に移され、不合格者は再びかへりて今一度以前の事を学すると同様と知らば可ならん。合格して其より上位の学校に入学する順序となる。故に選魂所をはなれて次に進むところは、洗魂所という新しき学校なり。その洗魂所と雖も一様ならず。いろいろに区分されてその範囲極めて広し。汝等衆人の世界にたとゆれば文科あり、法科あり、医科あり、商科あり工科ありと云ふ如く、皆其々の魂にもなすべき業務の相違あるによって、その個性と職分に於て、すべてを異にす故に一様ならざるなり。九流界に入るものは九流界の洗魂所、八流界に入るものは八流界の洗魂所と云ふ如く、定められたる所にて、新しき教へを受けて、魂を洗ひ磨く場所なりと知らば可なり。是等に関してくはしく語ることは避くべし。其は諸子が持つ個性に従ひて定められるものなれば万人悉く同じからず。其分野は天界に於て定めらるるによって、我等と雖も衆人の来る迄は語るとも詮なし。
 ここに注意すべきことは汝等衆人己に架せられたる天職全うせざるものは、選魂所に於てふるいをとされて再び三度不合格となるによって、諸子は下界にある間にその天分をよくよく見定めて、その方向に進まずば望みは達し難し。是等の道理をわきまへて己に架せられたる職分を固守し、然してその分野に応じて忠実に天職を全うすることに努力せずば、選魂、洗魂所に入ることを得ずして迷ふの他なからん。己に架せられたる天分を認識することは、動物性をはなれて真の人間性に進まずば知ることは困難なり。自己の持つ本分すらわきまへざる動物性本能を発揮し居りては、その大業を果たすこと思ひもよらず。人間性に進みてはじめて己が天分を知り得たる人は幾何程もなし。かかる有様にてありながら人の道を彼是論議すとも、其は唯理屈にして空虚となることは当然なり。ここに於て人間と動物の関係に於て、一歩あやまてば転落か上昇かの分れ目となるによって、肉体を有する間の修行は、大切なることは是等に徴して明らかならん。この一大事を知らしめんがために、我等は種々様々の事柄を引用して、今日迄汝等衆人に教へをなしたり。然るに汝等衆人は唯訳もなく聞き居りて或は神ありとか、或は神なしとか恰も対岸の火事を見る如く詮なき事にのみ囚はれ居て、己が足もとに火災の起りつつある事に気附かず、空しき修行をなし居りては何日かは望みの達せらるべき道理なし。理屈を捨てて道理に服されんことをのぞむ。
 我等、衆人の語り居るを聞けば人は死して其れにて終りとなる。肉体を有する間のみなれば、その間に処して事をなし居らば、其にて人道は全きを得たるなりと話し居るを耳にす。尤もなる事の如く聞こゆれど、其は一を知って二を知らざる故なり。人間の智慧の程度は、現在の処にては其以上の備はりよりあらざるは、一般人の常識なるべし。人に生まれて人を知らず。肉体と云ふ機械的に囚はれて、何等智識を伸ばさんとせざるによって刹那的となり、肉体ののび行くがままに委せ居りては、人の人たる道はをろか己の何なるかをすら知ること難からん。肉体の長ずるがままに棲息して、其肉体の要求に従ひ居りては、何日かは人間の何なるかかをも理解することすら知らずして終らんこと、実に悲しとは思はざるや。

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