覚者慈音640  未知日記 第一巻  行法    伊東慈音

覚者慈音640 未知日記 
未知日記 第二巻  行法    
第二 昔を捨て昔にかへれ
           其の1    
       
              テッシン貴尊講述


 我、今斯る奇題を択びたる理由は、汝等の注意を此一点に引き入れて行力、行法を速かに修得せしめんがためなり。すべての動物には反射作用ありて、見るべからずと云へば見度しと思ひ、語るべからずと止むれば語り度しと思ふは、反射作用に依る現象にして、是には他より受くると、自然に起るものとの二種ある事は、汝等もよく知る処ならん。即ち見るな、語るなは他より受くる反射作用にして、痒ければかき、痛ければ撫でる等は自然作用なり。此反射作用を巧みに利用して行ふ行法もあり。其反射作用は幻影を起す基となる。然るに反射作用はきはめて永続性に乏しく、一時的の現象なるを以て、是に乗ずるには可なりの工夫と、其人の力と程度及び其反射力の強弱とを計り知ることを要す。
 意志薄弱なる者は反射力は反対に強し。又嫉妬心強き者、猜疑心強き者も反射力は強し。是等は却って行法者の囚(とらわれ)となる故に、他より受くる反射は習慣に依って起る現象なれば善行は兎に角、悪習は打破せざるべからず。
 今、一法について、其例を述べんに、父を信ずる子は直ちに其命に従ふ。然れども信うすき子には、「汝は賢なり。父の命はよく守るならん」と、賢と云ふ言葉にて反射力を制して命に服せしむ。又父を信ぜざれば威嚇して反射力を制せざるべからず。尚甚だしきに至っては反射力を逆用して、右せしめんと思はば、左せよと命じて従はしむるなどの法も生ぜん。
 催眠術者、感応術者は斯くの如き方法を使用することあり。鏡に映れる太陽は面影なり。面影は反射して汝の顔を照す。真の太陽は汝の背後にあり。汝等は面影に囚はれて真の太陽を知らず。是は神に対する例なり。
 神の面影を知れど、神を知らずと云ふ事なり。昔を捨ててとは面影を捨ててと云ふ事、昔にかへれとは即ち真の太陽、真の神にかへれと云ふにて、是を要約すれば太陽は昔より輝き、鏡は昔より映す。故に一方の昔を捨てて、一方の昔に返れと云ふなり。

×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。