覚者慈音641  未知日記 第一巻  行法  テツシン貴尊講義

覚者慈音641
未知日記 
未知日記 第二巻  行法    
第二 昔を捨て昔にかへれ
           其の2    
       
              テッシン貴尊講述


 反射作用を正しく矯正せざれば行法によりて得る力の効果を収納する事難し。反射力は不安と迷ひを生ぜしむるに依りてなり。神経過敏なる婦女子の眼前にて、「我、発疹して痒し」と、如何にもまことしやかに見すれば、其婦人は忽ち発疹すべし。是反射力の作用によるなり。
 総じて法と云ふは難く見ゆれど、原理を知らば敢て不思議なる事にあらず。然れども神の法不思議なり。何となれば人智の及ばざる事多ければなり。今、汝は我の教へを聞く。然れども我全体は汝に来りしにあらず。我一部を汝に預けたるなり。例へば一冊の書籍を汝に貸し与えしと同じきなり。故に如何なる時に於ても、汝、筆を執らば講義は示めさるるなり。我等汝にのみ囚はれなば、神の命に応ずるあたはじ。天界と下界の自由とは、斯る所にも相違あり。故に人間如何に智慧ありとも天界は知ることを得じ。汝等が敬慕する大天文学者に、太陽系宇宙の星の数を問ふとも、明確の回答を与ゆる者あるまじ。まして全宇宙の様を測定する事を得んや。昔より今に至る迄空しき理論語り伝えられ、是を信じて今日に至り、却って迷いの種を蒔く。此種子は芽を出すとも実らじ。汝等早く覚醒て後を振り返れ。太陽は背後に燦然と輝く。面影を背にせよ。然して昔にかへらば新しき正月は、汝に新しき晴着を着せん。然して新しくふみ出すべし。
 斯くて蒼白なりし汝の顔面に、太陽の放射する様々の光線が、其威力を現はして、皮膚も肉体も健康なる姿とならん。肉体健康ならば心又さわやかとなる。人生の行法は即ち斯くの如き些細の処に、大なる真理あるものにてむづかしく考ゆる故に、却って労を感ずるなり。神の恵みを日々仰ぎながら尚他に特殊のものを求め迷ふがために、空しき月日を費すのみなり。
 汝は朝夕味はへる塩につきて考へし事ありや。現今の学者間に於て塩に対する有機物の研究は可なり進めらるれど、無機物の研究は前途遼遠なり。此処に学者に要求するは塩の持つ無機物の内に含まれたる「ものを養育する原素」のある事に着目して、研究を進めなば大に利益あらんと教ゆるなり。汝等には唯塩は気光素につきて必要なる点についてのみ語らんとす。

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