未知日記霊話集千六百九十六回  帰途案内記 NO116 安楽より安楽へと望むは凡ての生あるものの思ひならん。されど苦ありて楽を、楽ありて苦をとその境涯を超ゆるにあらざれば真の安楽は望まれざるなり。苦楽の悩みを味はひつつ進む事によって真の安楽境に入る事を得るなり。是を正しき転界と云ふなり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の二
転界の巻 
NO 116
セイキョウ貴尊 講述

                    
 全宇宙に無始終霊子なくんば宇宙も組織せらるるものにあらず。斯る大自然のそなはりあるによって自然より自然、更にその自然より分れて不自然等々が生じたる結果、複雑なる姿に組織されて尽きる処はあらざるなり。斯る微妙なる組織なるが故に、人生は苦もあり又楽もあるなり。安楽より安楽へと望むは凡ての生あるものの思ひならん。されど苦ありて楽を、楽ありて苦をとその境涯を超ゆるにあらざれば真の安楽は望まれざるなり。苦楽の悩みを味はひつつ進む事によって真の安楽境に入る事を得るなり。是を正しき転界と云ふなり。
 話は以前に逆上る。因果論に於てミキョウはチの門の事を語り、我はシュの門より語るべしと説きをきたり。此事に対して世人は疑ひを生ずるならん。其は他ならず。全宇宙或は宇宙の組織はチ、シュ、キュ、ジョウ、ギョウ、コウ、フク、センの門の順序によって構成せられたるものとせば、是をもとに帰せしむるにはその反対の経路を辿らずば、もとに帰ること難しとの念を起すならん。
 例へば我家を出でて他家に到り、然して他家より我家に帰る場合、往路復路は反対の立場となるにてはあらざるかと思ふならん。此事に対してくはしく語らずば、絶対の理を明らむること難し。絶対の理を明らめざれば、天界の真をきはむることを得ざるによって、今少しく是等に関して語りをくべし。世人の考へにてはチ、シュ、キュ、ジョウ、ギョウ、コウ、フク、センの順路に依て、生れ来るものならば転界する時はセン、フク、コウギョウ、ジョウ、キュ、チと進まずば、もとに帰ることを得ざるならんとの思ひなるべし。もし其が世人の考への如くならば全宇宙は時間空間距離を有する処となるなり。もし世人は肉体を捨てての後転界してセンの門に入ると思ひ居らば其は誤解なり。世人の世界にこそ発着の隔あれど、天界には斯る隔はあらざるなり。所謂チ、シュ、キュ、ジョウの如き名称は別記せらるるともすべては一なり。
 先にも語りし如く破壊分解融和組織と順序はあれど是にすら隔はあらざるなり。汝等の世界にのみ此順序が成立すれば、天界には斯る順序はあらざることと承知して、更に考へを新にせんことを促す。ミキョウの語りし如く、汝等の世界には三世四世の区別はあれど、天界には、斯る区別はなしと教へしにはあらざるがに思ひを致さば可ならん。天界には始めなく終りなき境涯と説きしは、此理を認識せしめんとの思ひより論旨を彼是と進め来りしなり。

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