未知日記霊話集千六百九十四回  帰途案内記 NO114 己はすべての具はりあるによって自在に活動することを得るならん。魂は恰も其の如し。滅後は透明人間の如きを想像して考ふるも可ならん セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の二
転界の巻 
NO 114
セイキョウ貴尊 講述


 一切空なりとせば一切は平等なるべし。宗教者の語る空とは一切空にしてその空はすべては一なりと説き居るなり。ここに我等の語る空と宗教者の語る処とには相違あるなり。もとよりすべては空に帰す。是は自然の法則なり。我等が世人に教へんとする処は、その自然の内にそなはりある一種の中間性自然空を教へんとなすなり。肉体を棄つれば悉くが空となりて終るとならば、霊魂は滅となるなり。例へば人形を造りて其をもとの土になさしめ又新らしき人形を造りなば、以前の人形は全く消滅したるなり。
 土より出でて土に返しなば、其にて前の人形は滅して終ると同様にて、人間も斯くなりてはすべてが空の大源にかへりて亡ぶ。故に霊魂は空にかへされて滅す。滅すれば其にて一切は終りとなりたるなり。もし斯くの如くなるものが宇宙の否全宇宙の大自然とせば、神は元より斯るものを造り出す必要はあらざるならん。造りては亡ぼし亡ぼしては作る如き事を繰り返へすとも、小児の玩具を弄ぶに等し。斯る事をなして何の益かあらん。
 此説より推して我等の語らんとする処を聞くべし。即ち空源あるが故に空を現はす。空源尽きざる以上、空は永久尽きるところなし。是即ち大自然の姿なり。実在に於ても亦同様の関係あるなり。実在は空源より空に、空より中途空に中途空より空実へ、更に空実より実在へと順序を追ふて組織せられ居るを以て、宇宙は構成せられ居る原理は、世人も既に承知なし居るならん。
 八大門に於て世人が見聞したる処は、悉く空源より空を作り出し居るを現はしたるものにて、その順序を仔細に認識することを得ば、空源より実在に及びたる事柄が、正しく認識せらるることを教へ給ひしなり。五大鏡はすべての実在化を教へたるものにて、是等は既に世人も認識なし居るならん。
 故に空源は空を造り、空は実在源を造り、然して実在は出現すとの順序となる事も推して知らるるならん。されば霊魂は如何になるかも推して悟る事を得ん。すべてを空源に返らしむれば、無言詞となりて更に新らしきものを造り出す要素と化するによって、人魂は無言詞霊子には帰らざるなり。この理を世人に分り易く説明するならば、先づ人間を科学的に工夫して、透明人間に造りたりと仮定して考へ見よ。然る時は魂の不滅は察せらるる参考とならん。所謂人の魂の果ては、透明人間と化せられたると想像して考案せば可ならん。透明人間は他より見る時、何者をも存在なし居ると判明せざれど、己はすべての具はりあるによって自在に活動することを得るならん。魂は恰も其の如し。滅後は透明人間の如きを想像して考ふるも可ならん。

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