未知日記霊話集千六百九十三回  帰途案内記 NO113 我等は霊魂不滅の理論を蝶々すとも、現在の学者にすら徹底せしむる事は至難なり。されど我等は死せずして今尚生を有すのみならず、天界に生存なし居るものの余りに多きを知る。故に我等は事実に於て霊魂は不滅なりと語り居るなり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の二
転界の巻 
NO 113
セイキョウ貴尊 講述

                    
 我、慈音を如意界に導きたる時、慈音は我に向ひて、「ここは地球のうちに存在する処か」とききたる事あり、我、然りとも然らずとも答へざりしが、是を地球より幾十億里かの処なりと語りなば、慈音は驚愕して戦く他なかるべし。距離の有せざる処を、距離より測定して語るとも慈音には、現在は兎に角その頃は未だ認識する事を得ざりし故なり。もし地球を標準としてこの処を測定するとも其は及ばざるが故なり。斯ることをここに説明すとも世人には、認識する事を得ざるは当然なり。如何に口をきはめ筆を運ばしむるとも
到底及ぶべくもあらざるなり。


 地球はその大なる絶対境の中に抱含せられたる一個の細胞にすぎざる故なり。汝の呼吸は軈ては静止する日は遠からざるべし。されど汝の生は長し。霊魂不滅の学理は学者によって研究せられ居れど、今尚その信を得ることを得ざるならん。或は不滅と云ひ或は滅すと論議するのみにて、徒らに光陰を空しくなし居るにてはあらざるか。宗教者は釈迦は死し、キリストは死しても今尚存在すと語り居れど、其は彼等の行跡が残り居るにて、彼等の生命は何処にあるやは知らざるべし。昔より伝へられたる大悪人と雖も悪行を残し居るにて、彼等の生命は残り居らざるなり。然りとせば魂は残らずして行跡を残すのみとならば、汝の地球亡びなばすべては滅するにてはあらざるか。然りとせば魂の不滅論は成立ざるべし。然るに我等は霊魂不滅の理論を蝶々すとも、現在の学者にすら徹底せしむる事は至難なり。されど我等は死せずして今尚生を有すのみならず、天界に生存なし居るものの余りに多きを知る。故に我等は事実に於て霊魂は不滅なりと語り居るなり。
 然れば正しき順路とは如何なるを指すかと云ふに、是を一言にて云ひ表はせば、大自然の懐中に抱かれて他を省みず、一路邁進せよと教ゆるの他なし。世人は前世の如何なりしかを知らず。唯現在のみ知り居るにすぎず。されど現在ある以上、過去の経路は歩みを運び来りたるによって現在はあるなり。今是を過去現在未来の区別なしとして、大自然に返へす事を得るならば三世一体なるが故に、何ものかが現はれ居るとのみ考ふるの他なかるべし。その何ものと考ふる何ものは何かと追及する時、其は筆舌の及ばざる一種の名伏し難きものにて、己のみ知り得れど他に語るべき適当なる言葉を案出することは難かるべし。過去現在未来なければすべては何になるか。或人は過去と云ひ、或人は現在と云ひ、或人は未来と云ふの他なかるべし。過去の連続現在の連続未来の連続と語ると雖も、その言葉も適当とは言はれざるべし。されど事実に於て何ものかが現はれ居ると仮定して考ふる時、空と云ふものに対して思慮を廻らすの他なからん。空は即ち過去現在未来の区別なく永久持続するが故にすへては空なり。一切悉くが空に帰すと説くの他なかるべし。霊魂は即ち空なり。空なるが故に滅せずと宗教者は語り居るなり。されど是を我等に云はしむれば宗教者の云ふ空と、我等が世人に伝ふる空とはここに又大なる相違あるなり。

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