未知日記霊話集千六百九十二回  帰途案内記 NO112 仏教の如く或はキリスト教の如く極楽天国を語り居れど、帰する処は娑婆に存在する間の人道を全うせしむるのみにて、極楽天国は想像によって語りたるのみなるが故に、其は宇相(有相)にすぎず セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の二
転界の巻 
NO 112
セイキョウ貴尊 講述

                    
 この信の力のはたらきを応用して正しきに進めば、生は正しく延びて栄あれど、一度あやまてば生は暗黒をさ迷ひて、際限なき苦みを味はふ結果となるによって、宗教は正しきを択ばざるべからず。宗教の神髄を一言にて喝破するならば、即ち信の力をおこさしむるを目的となし居るによって、即ち宗教は信の一事に帰すと云ふも過言にはあらざるべし。もし我等に対して宗教とは何なるかと聞かれなば、宗教の奥秘は即ち信にありと答ふるのみ。他はすべて枝葉なるにすぎずと語るなり。悪き宗教は悪を信ぜしめ、正しき宗教は善を信ぜしむるに他ならず。仏教の如く或はキリスト教の如く極楽天国を語り居れど、帰する処は娑婆に存在する間の人道を全うせしむるのみにて、極楽天国は想像によって語りたるのみなるが故に、其は宇相(有相)にすぎず。故に教主は宗教は宇相(有相)なりと説かれたるなり。宗教者はいたづらに来世を語り居れど、其は唯現在のあやまちをなさざらしめんが為の方便にて、所謂来世の空なるものを応用して、恐怖を誘ひ居るにすぎざるなり。我等は世人をして恐怖せしむるものにあらず。現世に於て如何なる行ひをなすとも道をあやまたずば、正しき転界は得らるる道理を語り居るに他ならずと知るべし。故に我等は宗教者にあらずと語り居るなり。
 我等は空路より空路へと辿りて今は天界の安きにあり。故にその実験より踏みたるままを世人に伝へ居るに他ならず。決してあやまちたる事を語るものにあらねば、信ずると信ぜざるとに不拘、その実を伝へて世人に知らしむるのみ。信不信は世人の心任せなり。信ずる人は信ぜよ。信ぜざるものは信ぜずとも可なり。唯聞き流しになすも其は世人の心まかせなり。されど軈ては世人も事実に直面する日は遠からざるべし。その時に至って我等の信(まこと)なりしことを信ずるに至らん。兎に角眼に耳に見聞しをかば未来の参考とならん。其にて我等の使命は達せられたるなり。

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