未知日記霊話集千六百二十一回  帰途案内記 NO40  空の筋肉には如何に聯想すとも姿はあらず。姿なくして実在的のもの以上のはたらきをなすによって、是を空の筋肉と云ふなり。すべては空にして其はたらきは実在化なし居ることに思ひを致さざるべからず。是を知らんとならば八大門の説明を繰り返へし繰り返へし読みて、其一々を思慮せば明らかに解する事を得ん  セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 40
セイキョウ貴尊 講述

                    
 教主は何と仰せられしか。此書は心なき者に読ますも甲斐なし。さりながら読むも差支なしと仰せられし意味を、汝等何故なるかも知らざりしならん。されど我今語りたる言葉によって教主の仰せられし言葉は、無量の慈悲心なりしことを痛感して有難しとの念は起らざるや。姿なきものに形なき形を有することに考慮を廻らさざるべからす。空は空虚にあらず。空なるが故にはたらくなりとの意味は是にて察することを得たらん。空とは即ち空の中に空のはたらきあるすべての血肉がそなはりあるによって空ははたらく。実在の筋肉あれば空にも筋肉ありとの考へを何故に世人は起さざる !
 肉体の筋肉は限度あるが故に亡び滅す。されど空の筋肉は空なるが故にはたらきありて永久不変なりとの一大事を何故考へざりしか。早くめざめよ。早くめざめよと繰り返へし居るに不拘、この事にすら世人は智慧をはたらかせ居らざるにてはあらざるか。故にすべてに縛ばられて真の正しき自由を失ひ居るも皆この理を考へざるが故なり。
 世人の智慧にて考ふる時空には空の筋肉ありと云はば、是に対して、実在の肉体筋肉と同様の姿を聯想して又も迷ひをおこすならん。空の筋肉に相当する者を肉体と同様の関係にて考ふるならば、心臓、肝臓、胃腸等の姿を空の中に組織され居るものと見なして、何処にかかるものありやなど愚なる考へをめぐらす外、他に求むる術をすら知らざる底の人もすくなからずあるならん。空の筋肉には如何に聯想すとも姿はあらず。姿なくして実在的のもの以上のはたらきをなすによって、是を空の筋肉と云ふなり。すべては空にして其はたらきは実在化なし居ることに思ひを致さざるべからず。是を知らんとならば八大門の説明を繰り返へし繰り返へし読みて、其一々を思慮せば明らかに解する事を得ん。されば五大鏡とは何か。是を世人に分り易く説明せば八大門は首より下方に属し、五大鏡は首より頭に属すと見なして是を解読せば、すべては明らかに推知することを示めされあるなり。故に是等の具備が汝等の肉体に及び居ると知らば、神の力によって恵み育てられたる汝等の身心の如何に尊きかを知ると同時に、神の慈悲の如何に有難きかをも知ることを得るならん。其と同時にかかる恵みを受けたる汝等こそ、罪を犯し或は日々を等閑に過ごす事の過誤を、悔悟せざるべからずとは考へざるか。

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