未知日記霊話集千六百二十二回  帰途案内記 NO41  我、余りに過激なる言葉もて汝等を遇すと怨む勿れ。喰ひては眠り起きては喰ふ日々の生活は糞尿をつくり居るにすぎず。汝等の生活は喰はんが為のはたらきをなし居るによって、斯る苦言を呈したるなり。汝等蚕より劣りたる生活をなす勿れ。せめては働らかんが為に喰ふ底の生活に順ぜよ  セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 41
セイキョウ貴尊 講述

                    
 又神は汝等を罪し給はずと教主の説かれたる言葉に対しても、其理を明らかに覚ることを得るならん。然るに罪せらるるは汝等が過失にて自然を逆行するが故に、転落の憂目を見つつありて、未だ反省せざるは何と云ふ愚かさぞと悔悟の念を起さざる。五大鏡に於て示めされし汝ら日本人の姿を見よ。表面は美にして裏面の醜なるに驚嘆なしたるにてはあらざるか。斯くも表裏を異にするは自然を逆行したるが故に日本は亡びたり。故に今後は其を悔ひ改めて自然に順応せば、国土再建は至難にはあらざる道理も考慮せよ。日本宗教の中に日本は天地と共にきはまりなく栄えんと説き居るにてはあらざるか。皇運とは幸の運命を指すにて帝の運命をさしたるにあらずと我等は聴く。
 日本宗教の天皇と云ふ意味は所謂神と人との間をつなぐ霊光を指したるにて、天皇と云ふ人間を指したるにあらず。例へば汝は位上りて天皇の任務に達したらば、即ち役目は天皇にして是を廃したらば汝はもとの汝なり。然るを人間と天皇を混同して考ふるが故にあやまたれたるなり。恰も総理大臣は役目にて是に相当する処に至らば汝等も総理大臣となるならん。されど天皇と云ふ霊光には汝等は如何に智慧をはたらかすともなり得べきものにあらず。ここに天皇と総理との相違はあることに考慮する時、天皇とは宗教性にして空なり。総理とは政治的にして実在と考ふれば日本宗教は即ち天皇宗教と云ふも差支なからん。よって我等日本の宗教を天皇宗教と現はしおきたり。余事は別として五大鏡八大門の組織より汝等が身心に及ぼして考へをめぐらし見よ。然る時は五大鏡は智慧と霊と信仰にして、八大門は肉体なるが故に、即ち法力を現はす機械なりとの思ひを抱くならん。又その肉体の法力によって、智慧も信仰も従って増大することの理も亦考へ至るならん。然してこそ正しきさとりは開らかれ、五大鏡の如く耳目は明らかとなり、すべてを見通しすべてを聞き通し、又口を開らけばすべてを導く力も具はりあることを認識せざるべからず。汝等の生活は口より喰ひて肛門より汚物を排出なし居る機械にすぎずと嘲けらるるとも、是に対して一言の弁明をなすことすらあたはざる底の事を日々繰り返へし居るにてはあらざるか。我、余りに過激なる言葉もて汝等を遇すと怨む勿れ。喰ひては眠り起きては喰ふ日々の生活は糞尿をつくり居るにすぎず。汝等の生活は喰はんが為のはたらきをなし居るによって、斯る苦言を呈したるなり。汝等蚕より劣りたる生活をなす勿れ。せめては働らかんが為に喰ふ底の生活に順ぜよ。
 汝等五大鏡の前を通りたる時、己の姿の余りに醜きを恥ぢたるにてはあらざるか。又八大門の一つ一つに入りて何れの箇所に於ても、其処に住居なし度しと叫びたるにてはあらざるか。この美はしき五大鏡八大門が汝等の身心なりと思はば、是をおろそかになすことをせず浄化して早くさとりのまなこを開らかんことに心がくるこそ、人の人たる任務なりと考ふれば、一秒一分たりともおろそかにすごす事はなり難しとの念は生ずる筈なり。

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