未知日記霊話集千五百八十六回  帰途案内記 NO5 人智進みてその機械が構成せらるるとも、全宇宙の一毛に過ぎざる千五百幾十億里は何のものかはと云ふことを知り得たる時、初じめて全宇宙の広大さを認識するに至らん。世人の心に浮び出づる千五百幾十億里は僅かに全宇宙の一毛にすぎざる故なり  セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 5
セイキョウ貴尊 講述

                    
 世人の進退は何れにもあれ自由は自然によって与へられ居るが故に、意志にまかせて是をさへぎる事はなさざれども、大自然の光陰は容赦なく向ふべき方向に向いつつあることは世人も察せらるるならん。四百三十二万里と仮定したる速度にて、一年三百六十五日を通算せば、十五億七千六百万里となる。是を人生一代百年として計算すれば千五百七十六億八千万里の光陰は過ごしたる事となる。千五百幾億里と口に云はば訳もなき事なれど是を事実に於て見る時は、莫大な距離となるにてはあらざるかを想像する時、人生一代の任務は筆舌の及ばざる大なる任務を架せられ居ることに心づくならん。もし汝等に千五百幾億里かの道を歩まざれば目的の地点に達することあたはずと命ぜられて秒一秒と足を運ぶならば如何あらんかとの思ひを深くして想像し見よ。分秒たりとて油断することはあたはざるべし。我等汝等の現在を見るに交通の便は開らかれて分時にして幾十里かを飛行する機械は作られあれど秒速五十里の飛行機は未だ完成なし居らざるべし。よし其が完成しありとするも百年間休まず飛行して、千五百幾十億里かを飛び続け得る機能を有する飛行機はあらざるべし。人智進みてその機械が構成せらるるとも、全宇宙の一毛に過ぎざる千五百幾十億里は何のものかはと云ふことを知り得たる時、初じめて全宇宙の広大さを認識するに至らん。世人の心に浮び出づる千五百幾十億里は僅かに全宇宙の一毛にすぎざる故なり。その一毛の速度を人間一代少しも休まず飛行して行くところの如何なるかを知ることを得ざれば、その時遭遇したる心の負傷は、如何に大きく響くかを今より考て工夫しをかざれば、人生一代は空しき歩みを続くるの他なからん。
 全宇宙の広大さは斯くの如き姿なるが故に人智の如何に小さきかを考へ見よ。今慈音と欣情が語り居るを聞けば千五百幾十億里と聞かさるるも脳裡に響く力はうすしと語り居れり。さもあらん。己の智慧にて驚きの眼を見開く底のものならば其は至って小さくしてとるに足らざることを知るに由なし。人は何かを標準として其を比較して考ふるに依ってものの大小は認識せらるれど、人智の標準となし居るものは余りに小さきが故に分度をすごしたる底の説を聞くとも、其に依って然あるかとのみにて何等の思慮分別を拡大することの難きは当然なり。故に人智を拡大強化してものの標準を高むるにあらざれば、事の真相を明らむることを得ざるも亦理なるべし。

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