未知日記霊話集千三百六十二回 大霊界 円海が慈音の隣家の若者の命数幾何かを知りたるによって、彼の魂を若者の妻に移魂なしたるなり。円海の如く測定法を知るものによって、はじめて斯る事のなし得らるる力あれど、慈音の如きその域に達せざるものは、唯不思議と思ふのみにて何等の術をも知らざるなり。慈音もせめては円海の力迄進むにあらざれば推知することは難し。無言詞測定法は斯くも微妙なる力を有す 教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の壱                                                      NO 45                        
有言詞感応と無言詞感応の区別     その4   
          教主寛大 講述


 円海が慈音の隣家の若者の命数幾何かを知りたるによって、彼の魂を若者の妻に移魂なしたるなり。円海の如く測定法を知るものによって、はじめて斯る事のなし得らるる力あれど、慈音の如きその域に達せざるものは、唯不思議と思ふのみにて何等の術をも知らざるなり。慈音もせめては円海の力迄進むにあらざれば推知することは難し。無言詞測定法は斯くも微妙なる力を有す。
 汝等衆人と雖も無言詞感応は日々与へられ居るなり。されど諸子はこれを己に引き入るる力なきが故に、唯空しくすぐし居るにすぎず。例へば友に対して日を定めて何かの約束をなし居る時、無言詞はその定めたる日に何かの障碍ありて、約束のはたし難き教へ居るにも不拘、其を推知することを得ざるが故に、約をたがへこと往々あるならん。斯る事は無言詞の知らせなるに不拘、それすら知る事を得ざるは、無言詞の力の研究をなさんとせざるが故なり。もし汝等諸子に是等の事柄を会得するならば、友と約を結びてもたがふる如き事のあらざるは、無言詞の力の備はりあるによってなり。無言詞の力備はらば予知予測にあらずして、確知確測となるに依ってあやまつものにあらず。明日の天候すら知ることを得ざる天文家にして、確報する事得ざるは当然なるべし。もし彼等にして無言詞の声を聞き得る備はりあらば誤りたる報道はなさざるべし。道理を知らざるが故に、空説虚説と考へて根拠なきことを報道する如きは、学者のなさざる処と思ひて公の報道を慎み居れど、無言詞の原理を適格に悟りたるものならば憚るところなく報道することを得るなり。
これを無言詞感応と云ふ。無言詞感応には二種あり。一は実在性感応と、一は空虚性感応なり。予言者の中には空虚的感応によりて行ひ居る者極めて多し。故に彼等の説は時には適中することもあり、又適中せざることもあるなり。されど空虚的感応を正しき根拠より、その道理の蘊奥を究めたる円海の如きは、一として外るることなく適中するなり。予言者の多くはその理を知らず、唯感応したるままを報道するによって誤ち多し。
 実在的感応は大旨外るることなし。何となれば其は経路より経路を辿りて結果に及ぶ故に、混同して真理の発見をなすことを得ざれど、両者を区別して一方は実在的より、一方は空虚的より推測して考究して、その両者が一致点に達して正しき答案を得るならば、決して誤つものにあらず。されど其を一方的に解釈すれば誤つこと多し。
 例へば天気予報の外るるは実在的観察にのみ囚はれて、空虚的の研究乏しきに基因す。実在的に学理のある以上、空虚的にも学理のある事に着眼せざるが故に、一方的となりて過誤を生ずるなり。円海の如く両道の蘊奥をきはめたるものにして、はじめて確実なる答案を与ふることを得るなり。







      
 ( 昭和二十六年一月四日から二月二十六日 )

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