未知日記霊話集千三百六十一回  大霊界 魂不滅の原理を認識するにあらざれば、未来を予測することは難かるべし。如何に科学が進むとも、肉体分離後の魂を、測定する機械は案出せらるるものにあらず。是を知るは無言詞測定の法を知りたるものの他は、なし得らるるものにあらざる事は云ふ迄もなし  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の壱                                    NO 44                        
有言詞感応と無言詞感応の区別     その3                                                                                                            教主寛大 講述



 有言詞は限度あるによって或一定の目標に達しなば、其れにて事実は明らかとなる。されど無言詞には限度なし。故に何処迄至るも定まれる目標なきが故に、事実は現はれ難きなり。「未知日記」に於て語りたる分度計について考へ見よ。一尺の物指を肉体一生百才として計算する時は、限度あるによって一定の法則は定まる。もし分度計に於て限度なければ、何処迄至るも計ることを得ざるべし。汝等衆人この世に生をうけて一年々々計算する時は、その度は増すによって大きくなりたりと称し居れど、その一年々々が滅の法により計算する時は、大きくなりたるにあらずして収縮したるにてはあらざるか。百才のうち七十才をすぐせば残余は、三十年にすぎず。一方より見る時は上りたく如く見ゆれど、反対より見る時は近づき来りたるにて、すべては斯くの如き理あるに不拘、もし其が分度なければ、つみ重ぬるだけ増大し行きてはてしなく積もり行けば、唯増大し行くのみにて、減小というふことの程度を知ること難からん。無言詞は斯くの如く際限なきが故に、増大減小の区別を明らかにする事を得ざるなり。されどつもり行けば其れだけ増大なしたる関係あれど、反対に是を減小せしむれば是又はてしなし。故に、増大減小の度を計算する事は至難なり。何れにもあれ計り難き故に、無言詞は不定則の如く感じらるるによって時には、空論ともなり、時には事実ともなる。測定し難きものを測定せんとせば、ここに誤算を生ずるは当然なるべし。故に慈音はこの理を知るによって、何事をも容易に語らざるなり。我等はこの測定法を知るが故に、無言詞測定の法を慈音に伝へなば、その時は慈音も明らかに是を公にする事もあらん。兎に角無言詞より有言詞を求むれば、不定則より定まりたる測定をなし得る事の理は、諸子にもうなづくところあらん。是を計るには無言詞を有言詞に化せしめて、是に限度を与へなば容易に測定することを得るなり。されど是を知るは容易の事にあらず。無言詞は余り範囲の広きによって、是を一つの目標に化せしめて計らんとするには、皆それぞれの事柄に対して、其々の方法を有するによって困難となるなり。形あるものに対してすら物指にて計る事を得ざるものも多くあらん。まして空なるものを空の物指によって測定せんとすることは容易の事にあらず。さればこそ空なる事には迷信正信の区別ありて、ここに迷ひを生ずるなり。
 例へば汝の肉体は今後幾年生くるかときかれなば、汝は明確なる答へを彼に与ふることを得るや。肉体のみならば是を測定して何年後なりとの答へは得らるるならん。されど空なる命数には是を計る物指はあらざるべし。故に限度を有する肉体は、測定する方法は至極簡単なれど、空なる命数測定はなし難きは、是無言詞の測定法を知らざるが故なり。されば是を測定することを得るやと云ふに対して、我等はありと答ふるなり。是には肉体精神分離の法則を以て計算する時は、的確に判明する事を得るによってなり。魂は肉体を離るれど、死滅することあらざるが故に、肉体より脱する時期には限度を有す。故に是を計算すればあやまつことなく推知することを得るなり。唯肉体のみを測定するによってあやまつこと多し。されど両方面よりこれを測定せばあやまつことあらざる理は、諸子にも解せられるならん。科学進めば是等の測定器は考案せらるる日も近からん。是限度を有するが故になし得らるるものなれど、魂不滅の原理を認識するにあらざれば、未来を予測することは難かるべし。如何に科学が進むとも、肉体分離後の魂を、測定する機械は案出せらるるものにあらず。是を知るは無言詞測定の法を知りたるものの他は、なし得らるるものにあらざる事は云ふ迄もなし。

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