未知日記霊話集千三百五十五回 大霊界 五尺の身体に一丈の魂と考へ見よ。然る時は肉体は小さくして魂は大なりと思ふならん。されば五尺の身体に百丈の魂千丈の魂と先づ考へよ。然らずば真実の魂を知ること難し。魂とは小さきものにあらず。我等に云はしむれば百丈千丈の魂にあらず。無限大の魂が、汝等の肉体を擁護なし居ることを教へ居るなり 教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の壱                          NO 39
形を変へたる霊魂と無始終階との関係
その1     
            教主寛大 講述


 汝等衆人は霊魂とか魂とか云へば微々たる形を連想するならん。其は人間の肉体に宿り居る魂を、肉体の形状より推定するによって五尺の肉体に宿り居る魂は、僅小なるものならんと、形より想像するによって、霊魂を小さく評価して考へ居るならん。是は大なる誤謬なり。肉体より発散する燐火(人魂)の如きもの等を考ふるが故に、魂と云へば微々たるものの如く思ふならんも、魂とは斯る小さきものにあらず。汝等諸子は一寸の虫にも五分の魂と云ふ言葉より、五尺の身体に宿り居る魂を想像するならば、魂のはたらきなどはものの数にも足らざるなり。五尺の身体に一丈(3メートル)の魂と考へ見よ。然る時は肉体は小さくして魂は大なりと思ふならん。されば五尺の身体に百丈の魂千丈の魂と先づ考へよ。然らずば真実の魂を知ること難し。魂とは小さきものにあらず。汝等諸子は魂を誤解なし居るが故に、わづかの肉体に押し込めて、自由を得せしむることを知らざるなり。五尺の身体に百丈千丈の魂ならば、魂の中に肉体を宿すとも考へらるるならん。又魂の中に肉体を住居なさしめ居るとも考ふる事もあるならん。汝等諸子の考へは本末転倒したる思ひなるが故に、信仰の力はにぶし。我等に云はしむれば百丈千丈の魂にあらず。無限大の魂が、汝等の肉体を擁護なし居ることを教へ居るなり。
 所謂汝等諸子の肉体にあるものは魂と肉体をつなぎ居る、紐の結びめの如しと知らば可ならん。又是を他のものにたとえ語るならば、肉体の中に燈火をおきて、その光が八方十方を照らすと同様にして、魂はそのすべてを照らす光明なりと見るも可ならん。その光明の魂は消滅することなし。されど、肉体の裡の点火は油尽くれば消ゆる事もあらん。魂とは消ゆることなき光にして、肉体とつなぐ部分を点火と見なすも可ならん。いささか曖昧なる言葉にて解釈に苦むならんと思へど、是等に関しては順次語るところを聞き居らば、従って理解することを得ん。今少し忍びて聞くべし。
 今一つ簡単にして分かり易き例をあぐるならば、地上にある汝等諸子の肉体に植へつけられたる霊の根が、成長して繁茂し広く高く拡がりて、軈て時節至りて完全なる稔りを得て始て、其が抜き取られて更に天界に移植せらるると思はば可ならん。斯く語らば却って認識することを得るならん。されど前の光の譬喩は解し難きことを知れど、この譬喩は後に至って大なる理由あるによって掲げ置きたるなり。諸子は無始終界に至らば、すべては霊子となりて細かく分離され、皆其々が分散して、無始終界と同様の零空に化せらるると想像するならば、其は大なる誤解なり。諸子の智識にては斯くも想像するは当然にして無理ならぬことなりと知るによって、我は光の例を掲げて後に至って、誤れる想像を悟らしめんと計りたるなり。形あるものの変化するはその悉くの分子がもとに復すれど、霊の結実は無始終界に立ち返へるとも、一旦組織せられたるものなれば、永久不滅にして是は変化するものにあらず。無始終界に於て共に同化して活躍なすと知らば可ならん。かく語らば諸子は思ふならん。例へば大海を無始終界と仮定して考ふる時、そこに又異なりたる水分が漂ふと解釈する人もあらん。されどその考へも誤まちなり。又水に油を交ぜたると同様ならんと考えふるも誤りなり。汝等衆人は八大門に於て見たる如く数多の霊子が雲霧の如くなり居る場所にて、横転逆転なしたる事を学びたるならん。無始終界とは是等に匹敵す。されど此処にては永住することを許されずと教へをきたり。是未だ正しき無始終界にあらざるが故なり。是等は無始終界の原理を知らしめんがために、見聞せしめたるすぎず。

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