未知日記霊話集千三百五十六回 大霊界 神は悪魔を亡ぼし給はざるなり。悪魔を亡ほさば人類は苦みをまぬがれて、安き世界を作り得るならんと考ふるならんも、人類の肉体一代にてよきものならば、神は悪魔を亡ほしてその人類をして安きにをき給はん。されど肉体をはなれて後の長きが故に、その最終迄至らしむる必要上、悪魔も残しある事と知らば修養の如何に大切なるかを知ることを得ん。用法によっては悪魔も善魔となるによってなり 教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の壱                          NO 40
形を変えたる霊魂と無始終階との関係
その2     
          教主寛大 講述



 全宇宙の組織は斯くも複雑なる組織を有す故に、如何に智能のたけたる人なりとて推理力にては、その真相をたしかむること思ひもよらざるべし。されば無始終界にかへりたる魂は如何にと云ふに、形あるかと聞かるれば、我等は然りと答ふ。又形なきかと云へば是又然りと答ふ。気体かと云へば、然り。動体かと云へば、然り。不動体 かと云へば、然り。個々に別れ居るかと聞かれなば、又然り。一体化かと聞かれなば、又然りと答ふるの他なし。されど固体かと聞かれなば、然らずと答ふ。然れば柔体なりやと聞かれなば、然らずと答ふるの他なきなり。されど又固体に化せんとせば固体に化し得る力あり、柔体ならんとせば、柔体になる力を有す。故に変転きはまりなき姿なり。無言詞界とは斯るものの集合なし居る処にして、其等のものに同化する力あらば、その悉くが見もし聞きもする事を得るによって、無言詞界と仮称なしたるなり。
 姿あるが如く又姿無きが如く見ゆれど、見方によっては明らかに見え、聞きかたによっては、明らかに聞ゆると云ふこの境地迄、達せずば、正しき神の事は云はれざるなり。八大門に於て、見聞したる如く、いろいろの線分の集まりが、其線を変へる毎に、皆其々異なりたるはたらきある事を教へおきたるも、この無言詞界に於て個々に有する天分のあることを知らしめんがために、示しおきたりと知らば頷く処あらん。
 宇宙の中には太陽もあり、地球もあり星もあり、その他種々雑多の有形無形のものの具備(そなはり)あるも、すべてはそのはたらきを応用して、正しき神の子をつくらんが為の組織に他ならずと云ふも、敢て過言にはあらざるべし。太陽も地球もすべては神の子を造らんがための肥料にすぎず。一個の黴菌と雖も、皆其々のはたらきを有して使用法によっては害ともなり益ともなる。是等の組織の悉くがすべて神の子を、完全ならしめんがための役目に組織せられたりと見るも差支へなからん。地上に置かれたる汝等衆人のためには、黴菌などは有害にして何等の益とはならざる如く思はるれど、無始終界に上らしめて其々の任務に服させんとするには、是又必要あるによって造られたりと見なす事も得るなり。故に神は悪魔を亡ぼし給はざるなり。悪魔を亡ほさば人類は苦みをまぬがれて、安き世界を作り得るならんと考ふるならんも、人類の肉体一代にてよきものならば、神は悪魔を亡ほしてその人類をして安きにをき給はん。されど肉体をはなれて後の長きが故に、その最終迄至らしむる必要上、悪魔も残しある事と知らば修養の如何に大切なるかを知ることを得ん。用法によっては悪魔も善魔となるによってなり。
 汝等衆人は肉体の大切なるため黴菌を絶滅せんとはかり居れど、その黴菌は決して根絶するものにあらず。必要あればこそ神は造り給ひしなり。医学が進歩するにつけて病も進歩すと云ひ居るにてはあらざるか。汝等諸子の世界には空気が浄化せられて黴菌の少なき所もあり、又混濁して多き処もあるならん。修養修行の大切なる事は是等によっても知らるる如く、わづか地球に於てすら斯くも複雑になる具備(そなはり)あることに留意せざるべからず。まして全宇宙の組織に至っては如何に智能をはたらかすとも、その真相をきはむる事の難きは当然なり。汝等衆人小さき地球などに眼を止めず広き宇宙更に、全宇宙の広大なる方向に眼を向けよ。

×

非ログインユーザーとして返信する