未知日記霊話集未知日記霊話集 第千三百九回 絶対界 巻の三 絶対界 第四講 第四講 神我一体によって真の自由は得らるるや 九流界のクウワオは早く任務を終へて動物界を度脱して、人間界に入り度しとの望を抱きつつ生活なし居るにてはあらざるか。然るに諸子はたまたま人間に置れし此喜悦をすら感じざるは、何と云ふあさはかなる知慧ぞと、我等は痛歎するものなり。 諸子の肉体は、人間と云ふ魂を入れある器に等し。その器に囚はれてながく苦みを味ふことの非を早く覚りたるものこそ即ち神の子なるべし テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています
絶対界
第四講
神我一体によって真の自由は得らるるや
         テツシン貴尊講義


 是等の理を深く考へ見ば自由とは如何なるものか又自然とは如何なるものかの想像は得らるる筈なり。 現今汝等が世界の自由主義と称し居る法則は、すべて天理に作る主義なるによつて、是は肉体本位の自由となりて、 人間性の自由に欠くるところ多し。 故に争闘の絶間なきなり。 天理に従ひ神に順じて人間性を引き延すならば、真の自由は自ら得らるる道理を早く研究せよ。 諸子の世界は法則をつくりて、その法則の縄に縛られて自由を失ふこと多からん。是等は肉体性自由にて、魂の自由にあらざるが故なり。 肉体の自由を好むが故に、武器を造る。 武器を造りて其によつて、己が肉体を失ふ如きは何と云ふ愚なることぞ。 是等は自然を曲解して、 小自然に順じ居るが故なり。大自然の法則に従ひて真の自由を求めずば、人間としての価値はあらざるなり。神は人間をつくり、其人間をして向上発達なさしめて、是を大自然の方向に向はしめんとして地上に生存せしめたり。其地上の生存はきはめて短かし。 諸子は永遠の望を抱きてその方向に向はずば、地上の苦みははてしなく続きて、何日かは度脱すること思ひもよらず、折角人間に生れし喜びを味ふことすら難からん。さればこそ諸子は人間などに生れしは何故かなど、愚痴をこぼす人多きは是天理をわきまへざるが故なり。 九流界のクウワオは早く任務を終へて動物界を度脱して、人間界に入り度しとの望を抱きつつ生活なし居るにてはあらざるか。然るに諸子はたまたま人間に置れし此喜悦をすら感じざるは、何と云ふあさはかなる知慧ぞと、我等は痛歎するものなり。 諸子の肉体は、人間と云ふ魂を入れある器に等し。その器に囚はれてながく苦みを味ふことの非を早く覚りたるものこそ即ち神の子なるべし。
 諸子の世界にて現今幾十億人かの人類あるに不拘、真の人間は先づなしと云ふも敢て過言にはあらざるなり。よしありとするも指折り算ふる程度にて、その指折り算ふる人すら真の人間にはあらじと、我等は、断言して憚らざるなり。さればこそ諸子の世界にては人間を最高位のものとして、其以上のものなしと称へ居るにてはあらざるか。 指折り算ふる程の人類が、我等は真の人間にあらず。 よし人間たりとも我等は最高位のものにあらずと、さとり得たる底の人ならでは、真の人間にてはあらざるなり。故に我等は斯くも断言して憚らざるなり。

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