未知日記霊話集未知日記霊話集 第千三百回 絶対界 巻の三 絶対界 第二講 大自然と小自然の関係 六月十日 (昭和二十五年) こだま会に於て円海も泰岳も神と共に生活せよと教へしにはあらざるか。神と共に生活すると云ふは即ち自然に順ぜよと云ふ事に他ならず。諸子は常に神は神、生活は生活として区別なし居るがために、自然に順ずることあたはずして、却て不自由の営みをなし居るなり。 神と共に生活なし居らば真の自由は得らるる筈なり テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています 



絶対界 第二講 大自然と小自然の関係
            テツシン貴尊講義


 すべて呪とか呪文とか、或は行者の法力のうち印を結び九字を切る等々の方法に於ても、現今の学理にては迷信盲信として省顧(かえりみ)ざるは、即ち自然の道理を知らざるが故なり。空には空の自然あり。実には実の自然あり。 空の自然は大自然にして、実の自然は小なりとしてすべてを考察するならば、従つて迷信盲信の理由も明らかに知る事を得るは云ふ迄もなし。 大自然の姿は余りにその範囲広きが為、稍もすれば迷信を伴ふこと多し。 されどその迷信と思ふ事柄に対しても、根に返して仔細に検討すれば何かそこに一種の何物かを、探り得ることも得らるる道理あるなり。空の自然を知らざるが故に、何事に限らず一言に迷信として捨つること勿れ。或程度追究してその理を究めて後に至って棄つるものならば始めて捨てよ。 実のものならば信不信は直ちに知る事を得るによつて、是なれば理として採用し、非なれば直ちにすつる事を得るならん。 実の自然は限度を有するが故に、直ちに理非曲直を明らむる事を得れど、 空の自然は余りに深淵なるが故に、理非曲直は容易に明らむること難し。 兎に角自然と云ふは斯くの如き関係に置れあるが故に、我等の眼と諸子の眼にはその見かたに相違あることに留意せられよ。 六月十日 (昭和二十五年) こだま会に於て円海も泰岳も神と共に生活せよと教へしにはあらざるか。神と共に生活すると云ふは即ち自然に順ぜよと云ふ事に他ならず。諸子は常に神は神、生活は生活として区別なし居るがために、自然に順ずることあたはずして、却て不自由の営みをなし居るなり。 神と共に生活なし居らば真の自由は得らるる筈なり。

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