未知日記霊話集 第千八十三回 光明論 下巻 巻の八 自づと笑ひの面(おもて)に現はるるものならん。此嬉しき心とは暗くしては現はるるものにあらず。明るくなりて現はるるならん。其明き心とは光波の動揺が優れたる名曲を奏でたるに他ならざるべし。故に笑みを洩らすなり テツシン貴尊講義

未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の八 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  上
第一章 チッ の 門
何時もにこにこの曲を



               テッシン貴尊 講述
               

 律呂完全にして正しき曲は奏でらるる事は先にも述べたり。今汝等此門に入りてまなこによって其美はしき旋律を見たるならん。されば此曲を耳にも聞かしめよ。雄大荘厳にして妙なる音色は如何なる天魔鬼神なりとも頭を垂れて酔えるが如く陶然たらん。彼等もこの奏楽の力にうたるれば、手をこまぬきてなす所を知らざるならん。汝等身心を整へなば汝等の口より発する楽音に等しき言葉となりて慈愛に溢れて出づる時は、如何に汝を陥れんと計る者ありとも如何ともなす術を知らざるに至らん。是ぞ覚者の声、至神帰神者の声なればなり。下より上昇し来る白雲の音を聞くべし。不調和音音程の定らずして耳を聾し神経を苛たしむる騒音は、汝等の心をくもらせて聞くに堪え難からん。汝等の日常の行為を我等が眼にし耳にする一切は、此雲の如く又騒音の如くにして眼を蔽ひ耳を塞ぐ事屡々なり。汝等、如何に心の自由なりとも我身勝手なる振舞をなさば、正律の旋方は乱れて乱曲となる故に、騒音となりて神経をとがらせ、為に肉体に迄及ぼす影響は極めて悪し。大悟大覚の門は先づ是を教へ居るなり。
 十二の光波転々として其位置を変ゆれど、正しく素直にして無理を伴はず、然も動ずる毎に光彩はいよいよ其度を増しつつあるを見るならん。十二の光波には其一個々々に十二の光を持つ故に百四十四個となるなり。されば十二の光波が転々する毎に、其一個々々が持つ光も亦同様にして其美はしき光と妙なる響きとによって、一切諸々の事々物々は浄化せらる。汝等一人々々の身心状態は斯くの如くの構造なりと知りて修行せば、自づと気光素は増大すべし。気光素増大せざれば暗き処を生ずるによって悪魔の遊ぶ場所は作らるるなり。我、行法に於て何時も「にこにこと」云へる事を説きたり。汝等よく考へ見よ。人は何か己に嬉しきことあらば、自づと笑ひの面(おもて)に現はるるものならん。此嬉しき心とは暗くしては現はるるものにあらず。明るくなりて現はるるならん。其明き心とは光波の動揺が優れたる名曲を奏でたるに他ならざるべし。故に笑みを洩らすなり。人は常に明朗ならん事を望むは人情の然らしむる処なれど、相対の世の中には何かと支障ありて心を暗くす。その支障の程度如何によって長き時間を暗くし、或は雨降らすことも多かるべし。又其が嵩じて嵐となり、肉体の家をも破壊に導く恐れもあらん。故に我は何時もにこにこの曲を奏でよと勧めたるなり。曇りの曲、暗黒の曲、雨の曲、嵐の曲は旋方の誤てる作曲なるが故に、上昇し来れる白雲の汚れが清浄せられざるのみか、却て清き光波迄汚す憂あるなり。この群雲をこの嵐を吹き払ふ高気圧は即ちにこにこの曲とも云ふべき旋方を用い居らば、太陽は燦として輝き明るく暖く照すと知るべし。(未知日記の書 行法を参照せよ)

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