未知日記霊話集 第千八十二回 光明論 下巻 巻の八 是が法としては初対面の人に礼儀を交はす如く、或は貴尊の前に出でたる如き思ひを貯へて一日幾回となく行はば可なり。汝等朝夕神仏を拝するは即ち低頭法にして、所謂気光素整頓法なり。合掌低頭は礼なり。霊なり テツシン貴尊講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の八 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  上
第一章 チッ の 門
合掌低頭の法


               テッシン貴尊 講述
               

  汝等が国日本の習慣となり居れる人と人との挨拶は頭を下ぐるは礼法なり。我、是を見て美はしと思ふ。アメリカなどの手を握るは愛情を現はすにて礼にあらず。もとより挙手の礼は正しきとは云ひ難し。我、講義の中途にて斯ることを語らば、汝等は奇異の感を抱かん。気光素を増大せしむる方法の一端としては、この低頭するは一法なり。即ち霊は礼に通ふ故に、乱れがちとなる気光素を低頭することに依て、是を是正するは最も大切なるによって特に特に語りしなり。すさむ心を慰めんとして物見遊山に行くも乱るる心を恢復せしめんがためならずや。乱るる心とは即ち気光素の乱るるあやなり。是を恢復せしむる簡単なる方法として低頭するは、その効果きはめて顕著なり。この法は唯訳もなく頭を下ぐるのみにては効果なし。是が法としては初対面の人に礼儀を交はす如く、或は貴尊の前に出でたる如き思ひを貯へて一日幾回となく行はば可なり。汝等朝夕神仏を拝するは即ち低頭法にして、所謂気光素整頓法なり。合掌低頭は礼なり。霊なり。されば気光素は復活して活発に躍動す。斯くして気光素の調節を計り美はしき旋律に依て、奉ずる楽音は神にも聞し召るるならん。合掌するは律呂陰陽の調和なりと思はば可ならん。汝等平素是を行はんとならば立ちたるままにてもよく、又座したるまま椅子に腰を下したるままにてもよし。合掌して貴尊に礼をなす心して頭を静に下ぐれば可なり。崇敬の信念にて行ふならば敢て平心低頭なさずとも可なり。
 三十六の霊気を己に迎へ入れんと計る修養修行なりと自覚せよ。然らば覚者なり。至神帰神の境地に達したるなり。三十六の霊気とは一般人種の有する百八の気光素より更に加へて、百四十四の気光素となして完全ならしめんための行を云ふ。汝等の行ひは数多くして尽る処を知らざらんも、是を大別せば霊気三十六にて処理することを得ると教へられたり。因より百八にて汝等の生涯のみなれば事たらん。されど真の道、至神の道を得んとならば、是に加ふるに三十六の気光素を以てせざれば希望は達し難し。三十六の気光素霊光については教主の教へ給ふ由なれば、我は語らざるべし。唯三十六の霊気によらざれば通達徹底せざるべき事のみを説くに止めをくべし。

×

非ログインユーザーとして返信する