未知日記霊話集 第千七十一回 光明論 下巻 巻の七 我の教ゆる法は断食の初めより身心を断食によって清浄ならしめ、雑念を払ひ煩悩を抑圧して霊光に浴さん事を願ふ真心にて行ふなれば、本願成就は疑ふの余地なかるべきは当然なるべし セイキョウ貴尊講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の七 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  下
霊に合するには何か特殊の方法ありや


                セイキョウ貴尊 講述
                

 先づ断食中に於ける精神状態を観察するに初め断食をなさんとの決心に至る迄は右か左かと迷ひて、精神に非常なる衝動を与ふるなり。此衝動こそは霊光に浴すべき種子とも云ふべきなり。然して愈々決行せんと決心なしたる時はここに一種の希望と又不安と重なれど其決心に依て初めて種子は蒔かれたるに等し。半断食中に唯単に何事も空想は断食の事にのみ囚はれて他には妄念雑念は起らざるなり。故にいささかにても修行の積みたる人ならば此頃より霊光は輝きそむることもあるなり。其は空念は一に帰し居るに依てなり。半断食より本断食ににうつる時急に異様の霊感ある事もよく見受ることあり。其理由は明日より愈々食を口にせずと云ふ心理状態がすべてを空となさしむる故に急激に魂魄一如となりし現はれによるなり。されどそは霊光にあらざれば一時的の現象にすぎず、断食中食慾は表面起らざるも心の底には未だ食慾残存し居る以て余事を考ふる暇を与へず、断食が終らば何を食せんと考ふるのみ。故に考案は食のみにありて他に雑念を生ぜざれば頭腹一体は完全に行はれて霊光は知らず知らずの間に輝き来るなり。されど従来とは異なりたる気分なるによりて是が果して霊光の威徳なるか、又他に何か神経より現はるる変調にはあらざるかとの思ひ惑ふによって断食最終の夜ひれふして自問自答の行にて其真偽を試むるなり。
 普通宗教上より行ふ時はその亢奮状態を御仏或は神業と思ひ誤りて其以上追究せざるにより、普通食ともなれば其面影は消滅するなり。我の教ゆる法は断食の初めより身心を断食によって清浄ならしめ、雑念を払ひ煩悩を抑圧して霊光に浴さん事を願ふ真心にて行ふなれば、本願成就は疑ふの余地なかるべきは当然なるべし。断食終りて尚効験なき人と雖も不撓霊光に浴さんと願ひ居らば普通食になりても亢奮状態は容易に失せざればなり。汝等断食をなしたりとて是にて総ては終りと考ふる勿れ。凡ては今後にありとの決意をなし修行せば可なり。
 次に読書について得る誘導法も理は既に悟りたるならんも其法を行ふ心構へを真剣に貯へ居らずば、無意味に終る事多し。何となれば其心構へこそは一個の種子にして心構へ無くんば種子無き所を耕すに等しければなり。心構への種子を読書の肥料と、読むと云ふ耕作によって完全なる結実をなさしむるなり。今、我の読むと云ひしは文字或は文章の意味を読むにあらず。其心構への種子の発育振りを読むなりと知るべし。故に書を読むにあらずして口ずさむと心得て可なるべし。故に小説その他政治経済または神経に障りある読みものは避け唯口ずさみ易きものを択びて文意を考ふることなく、此書を霊に聞かせなば、霊は喜びて我に返ると思ひて行ずべし。又他力発声法も帰す処は同様なり。是等悉くはみな頭腹一体の大法に類する法にして精神統一法なり。

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