未知日記霊話集  第六百二十七回  帰途案内記  転界の巻 八流界の人類  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1308
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の三
上界の巻 
NO 162
更に八七六流界に到る迄
八、九流界の科学について 
                 セイキョウ貴尊 講述
 

 例へば身心界に於てすべての事を記録なし居る機械と、心界の記録なし居るとにも相違あるなり。身心界の録音録影機は光気素電気を用いて、是よって凡てを保存し居れど、心界は既に気光素電気のそなへあるによって、其録音録影は永久不変にて再録する必要なけれど、九流界の機械は長き時間を経過すれば摩滅して変化なすが故に、再録せざれば永久保つこと難し。斯くの如く些細なる事柄に対してすら人智の優劣ありと知る時、すべての事柄に対しての相違も、是に順じて想像する時は察する事を得るならん。智識は磨けば磨く程、尽きる処を知らず進化なし行けど、肉体は限度ある事の理も是等によって解することを得たらん。故に大切なるものは智慧なり。されば智慧とは何によって進化なし行くかに思ひを馳せよ。心の働きは是又限度あらん。何となれば世人の如く限度を有する地上に於て生活なし居る時、種々様々の事柄を認知するには、其等に関しての学問の他得る処なかるべし。其学問を作り出したるものは即ち智識なるべし。もし此智識なくんば感受したるものの他、心は行き詰りとなりて其以上のものを知ること難からん。ここに至って心は行き詰りて終りとなる。よって心には限度ありと説きたるなり。されどその心に感受せしむる智識ははてしなき力を有するが故に限度なし。

×

非ログインユーザーとして返信する