未知日記霊話集  第六百二十六回  帰途案内記  転界の巻 八流界の人類  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1307
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の三
上界の巻 
NO 161
更に八七六流界に到る迄
八、九流界の医学について 



                 セイキョウ貴尊 講述

 現在の医学はすべて肉体本位なるが故に、肉体作用によって心を観察する為に、稍もすればここに誤ちたる結果を招来して、身心共に悩みを多くすること僅少からずあるなり。心を主としてその立場より肉体を研究するにあらざれば、医学の向上は望まれざるべし。是は九流界即ち身心界(仮称)の様より見たる、我等の体験より語りをくことせん。身心界に至っては心の医学に重点をおき、肉体を後方にして研究なし居るによって世人の医学と対照する時、即ち表裏の関係となり居ることを、我等知るによって此処に聊か報じをくべし。研究は我等の分にあらず。されど参考迄に語りをくこととせり。
 身心界の人類は肉体の病を起さざる以前に、既に医師に診察せしめて未然に防ぎ居るが故に、病人は一人としてあらざるなり。されど身心界の人と雖も、肉体に限度あるが故に老いて死す。老ゆるとは世人の世界の老ゆると等しからず。身心界の老人とは即ち年月を重ねたる老にして、死する迄矍鑠として決して老衰するものにあらざるなり。故に此界の人は生死はあれど老、病の悩みはあらざるなり。我、かく語らば老、病の定めなければ、医師の必要もなからんと思ふならん。されど世人の医師と身心界の医師とは全くその趣きを異にす。是は語るとも世人には解すること、難かるべしと思ふにより深くは語らじ。斯ること迄語り居りてははてしなき故なり。兎に角身心界にも医師のありとのみ知りをかば其にて可ならん。折あらばミキョウの円海にきくべし。
 兎に角生理学は斯くも進化なし居るが故に、人類の肉体は次第々々に改造されて発達し、先に語りし如く八流界の人類の如く変化なしたるにより、全く肉体に関しては身心界の如くなる生活をなすの必要もあらざれば、従って肉体の事に関しては最早何等の悩みなく、為に斯るものとは全く関係を絶ちて、唯心にのみ重点を置くに至りたるなり。故に我等此界を仮称して心界と名づけたり。此界は肉体に対しては唯魂を入るる器具の如く考へて、行じ居ると知らば可ならん。斯くも身心界と心界との隔は多きが故に、すべての事柄に対しても亦其趣きを異にし居るは当然なるべし。

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