未知日記霊話集  第六百二十五回  帰途案内記  転界の巻 八流界の人類  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1306
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の三
上界の巻 
NO 160
更に八七六流界に到る迄
                 セイキョウ貴尊 講述


 斯くして心を自由ならしむれば、心は必ずや父なる魂に対して救ひを求め来らん。この自由の心こそ肉体と魂をつなぐ力と化せらるるは、即ち魂の力あるによってなり。肉体を魂に任せ心は自由に活躍して、はじめて人道の何なるかを知るなり。然らずば年月を重ぬるとも、人道を知る事難し。人道を知らずして人に生れし甲斐もなく、又人とは何なるやすら知らざるべし。かかることにては人となりて何になる事ぞの、正しき明らめはなす事思ひもよらず。唯余儀なき明らめとなりて終るに過ぎず。余儀なき明らめは明らめにあらず。迷ひを残すのみなり。迷ふはいましめのなわめなるによってなり。早くいましめのなわめをほどきて、心に自由を与へよ。
 汝等の修養修行を見るに心に自由を与へずして、徒らに圧力を用いて押し込め居るによって、執着はまぬがれざるなり。故に、此圧力を用いずして心にのみ任せをかば、心は行かんとする方向に一路邁進して使命を全うす。心に自由を与へざるが故に、執着の迷ひをなして苦むなり。心の思ふ方向に放ちやりてこそ、心は傍目もふらず突進するなり。是を一心不乱と云ふ。所謂棄執着の法とは、自由のなわめをときて心を放ちやる放心の法より、現はれたる法術なりと知らば、むづかしき事にはあらざるなり。又心を前方にむけよと云ひし事も、是によって察せられるならん。心に自由を与へて空なる心の提灯を先とし、実なる肉体を後として進みなば、其によって智慧の魂は働きて、益々前途を明るくすることの理も察せられるならん。
 所謂魂に相当する太陽は、肉体に相当する地上を照し、心に相当する人間に歩みをなさしむると同様の考へより、思ひを廻らさば従って我等の説は、解すること難きにあらざるべし。もとより是は譬喩にて語りたるなれば、彼是理窟をつけて反抗の念を抱かざるやぅ注意しをくなり。世人は譬喩を聞きても彼是論議して、迷ひを深くする傾向あり。是等は即ち心に自由を与へざるが故なり。心に自由を与ふれば心は魂の教へを受けて、例話の中より一種の真理を悟り方向を誤たず進むことを得るによって、その心して道を歩むべし。徒らに論議して迷ひを深くし、心に圧力を与ふることなきやぅ注意しをくべし。 

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