未知日記霊話集  第六百二十三回  帰途案内記  転界の巻 八流界の人類  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1304
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の三
上界の巻 
NO 158
更に八七六流界に到る迄
                 セイキョウ貴尊 講述

 肉体に心は宿るとの考へと、心に肉体は従ふとの考へとには相違あらん。是に気附かざるや。健全なる肉体には健全なる魂は宿ると思ふは誤ちなるべし。此場合の心は魂にあらずして心を指したるならん。されば肉体より心を見ると、心より肉体を見るとの相違は、同じ如く思はるれど是を仔細に検討すれば、大なる隔ある事に意を用いざるべからず。故に先づ肉体と心と分離せしめて、ここに新らしき道を工夫し見よ。然る時は自づと諒解する道は開らかるべし。心を肉体よりはなれしめたりとて肉体は破壊せらるるものにあらず。何となれば魂は是を補佐しあるによってなり。故に心配なく先づ修行するもの、肉体より心をはなし見て、然して第三者の立場より肉体を見る時は、魂も肉体も同時に見る事を得て、ここに初めてさとりは開らかるるなり。然らずば潜在意識を見る事も難く、又正しき肉体を知る事も難からん。世人はかかる事は机上の空論にして、なし得るものにあらずと嘲笑して顧みざる人多からん。我等は決して空論を語るものにあらず。肉体より心をはなせよと云はば、世人は肉体より心を宙天へ飛ばせよと云ふが如く考へなば、其は無謀の考へにて所謂机上の空論なり。我等かかる事をなせよと云ふにあらず。又臍下丹田に心を押し込めて働きをなさしめざる如く、考ふるも其も然らず。されば如何にせば心と肉体とを分離して、第三者の立場たらしむるやと云ふに対して迷ひを起したるならん。汝の心は何処にある。その心の在所を先づ求めよ。頭か、胸か、肚か。頭と思はば頭は混乱し、胸と思はば胸をいため、腹と思はば筋肉の障碍をおこすならん。然りとせば心は何処にある先づ是をたしかめよ。心に心を求て、心の在所を探り居らば其にて可なり。心の在所を追求する事によって、肉体と心とは分離せらるるなり。是にても尚空論と云ふや。

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