未知日記霊話集  第六百四回  帰途案内記  転界の巻 八流界の例話  ミキョウ貴尊講義

覚者慈音1283
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の三
上界の巻 
NO 138
八流界の例話


                 ミキョウ貴尊 講義
 

 今一言語りをかん。汝は賢ならんとするか。愚ならんとするか。賢ならんとせば愚を厭ふ。愚ならんとせば賢を望む。賢と云はれて其は何になる事ぞ。又愚と云はれて其は何になることぞと、思ひを深くすれば賢愚もものの数ならず。先づ賢愚を棄てよ。然して赤裸々となれ。然らずば貴尊の教へを正しく把握することは難し。是は慈音、欣情への言葉なり。
 さて話を貴尊の方向にむけて語ることとせん。前書に於て是に類する例話を語られしことあり。然るに今又同じ意味の例話を用いられしには、前書時代とこの書をよむ人の修養力が従って相違あるによって、再び是と同様の話を語られたるにて重複なし居るにはあらざるなり。前書に語りたる神となりて何になることぞと云ふ意味と、今日の意味とには相似て等しからざる区別あるなり。前書の意味は余儀なき明らめを現はしたるにて、今日の講話の意味とは同じからず。従って修養修行するものの心がけも亦、斯る余儀なき明らめをなし居らずして、何かその中に潜在なし居る、一種の名伏すべからざるものを、見出さんとする希望の現はれにてはあらざるかを、前書と対照して比較し見よ。小児に誘はれて神のもとに至りし彼を、先づ脳裡にをさめて、其を検討し見る時は、彼、神の処に至りて膝を打ちて、然ありしか楽しと云ひしことの意味は、察せられる筈なり。是等の解説は貴尊が示めさるるが故に我は語らじ。とにかくこの後語らるる貴尊の説を、空しく聞きのがさざるやぅ注意迄に、慈音、欣情に知らしめて一句一言をも空しくなす勿れと、誡めて我は退くべし。油断なす勿れ。然して貴尊の教へを受けよと注意して退くべし。

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