未知日記霊話集  第六百三回  帰途案内記  転界の巻 八流界の例話  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1282
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の三
上界の巻 
NO 137
八流界の例話

                  セイキョウ貴尊 講述
 

 この時一人の小児現はれて、彼の許に来り、我、神の使にて汝に来りたり。汝の迷ひを晴らさん。よって神の許に来れとさそひたり。彼、小児に向ひて、行くも詮なし。よって我は行かじ。小児曰く、茲にありても詮なからん。されば同じ詮なき事ならば、神の処に来り見れば如何。然してその詮なしと思ふことの判明すれば、甲斐あることにてはあらざるか。兎に角我と共に来りては如何にと。彼其もよからん。されば従ひ行くべしとて、小児と共に神の処に赴きたり。然して彼は神に向ひて、神よ何の要ありて我をよびしかとたづねし、神曰く、汝は何のために我許に来りしか。彼曰く、汝よびたるが故に来りしなりと。神曰く、我、汝をよびしことなし。唯汝は小児と共に、我の処に来りしにて、まことに馬鹿々々しきことならずやと仰せられたりと。然して神は言葉を継ぎ給ひて、来りしものは来りしにて、何処に行くも詮なからん。よってここにて暮らせよ。其にてよからんと仰せられたり。ここに至って彼は、呵々と笑ひて、膝を打ちたり。然して彼は、成程、然ありしか。あら ! 娯しやとここに始めて全きさとりを得たりと云ふ例話なり。

 ミキョウ貴尊講述

 我、ミキョウ、貴尊の話の是あることを知りたるにより、今朝慈音に対し、今日は真に汝に、とりて最も大切なる有難きことを語らるるにより、身心を安らかにしてよくよく聴聞すべしと誡しめをきたり。然して慈音は此講話を聞きて慎み深き彼にも似合はず、欣情の前にて思はず知らず有難しと、本心より声に出して低頭したり。慈音よ。昭和二十四年十月十日の此日を汝の生涯の記念として、忘るることなく心の記録に深く止めをけよと、我は注意なしたり。「何事のおはしますかは知らねども、かたぢけなさに涙こぼるる」、の感謝なりしなり。然り、然り、然あらん。汝、慈音今日迄種々様々労苦し来りし迷ひも、これにて明らむることを得たらん。七十年無意義に生きて、眠られざりし迷ひの念は失せて、長き眠りにつくべきか。或は長き生を保つべきかは是にて、すべては解決したらん。是等明らめを得て、七十年は空しき光陰を送りたるにあらざりしことも察せられるならん。実に喜ばしきことならずや。又楽しきことならずや。欣情よ。汝は是を知るや。汝にして是を悟ることを得ざるは、未だ修行の否修養の足らざる故なり。其は余りに前途を早く知らんと心を苛たする故なり。前途の遠きを慮るが故に、脚下を見ることあたはざる故なり。脚下をおろそかにして、前途にのみ眼をむくれば、さとりは得られじ。すべてを忘れて脚下を見よ。即ち脚下は前途なり。されば前途は遠からざる事を知り得ば、慈音と同様のさとりを得る事は火を賭るより明らかなるべし。前途は遠からず。又前途は近からず。遠近はものの数にあらず。ここに眼をむけよとのみ語りをくべし。

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