未知日記霊話集  第六百二回  帰途案内記  転界の巻 八流界の例話  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1281
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の三
上界の巻 
NO 136
八流界の例話


                 セイキョウ貴尊 講述

 此例話の事柄を語るに先だち聊か注意することあり。そは他ならず。この界の人間肉体の形状とには相違あり。世人の思ふ百歳と、彼等の語る百歳とにも相違あるなり。世人の肉体にとりての六百年は彼等の百年に相当する故なり。世人の一年は彼の世界の二カ月にあたる故なり。従って数の上に於て彼等と世人との年月の通算と、異なる故なり。世人の一年は彼の世界の二ヵ月にあたる故なり。従って数の上に於て彼等と世人との年月の通算と、異なるによつてここに知らせをくものなり。故に彼等の一万年は世人の六万年に相当すると知らば可なり。先づ予め此事をも考慮に止めをくべし。
 さてこの例話についてなるが此世界の人間の生死の考へと、世人の生死の考へとを比較して、修養の道を開らかしめんと思ふが故に、此例話を掲げしなり。先づこの例話の本題に入るに先だち今一言語り添ゆる事柄あり。其は他ならず。世人の生死の考へは、肉体を本旨としての生死なるが故に、正しき区を明らむることを得ざるなり。ここに今一つ八流界の伝説を新らしく掲げて参考とせん。此例話は至極面白く、且つ世人にとりて生死を明らむるに最も好資料なれば、言葉を俗言に変へて語る事とせん。
 或人人生の如何なるかを正しく認識せんとして、日々智慧を磨き居たりしが、如何に考ふるも如何に工夫するも、人生とは何かと云ふ事に対して悟る事を得ず。よって智慧のすぐれたる人の門をたたき、神は何故に又何のために人を作りしかと教へを乞ひたるに、その智者曰く、其は我も知らじ。故に今尚是を知らんとして研究なし居るなりとの答へなりしかば、彼は智者と云ふ智者を悉くたづねたれど、如何にすとも正しき答へをなすものあらざりき。茲に至って彼は人生とはまことに、無味乾燥なるものにて修養修行などなすの要なし。如何に粗暴の振舞なすとも亦、如何に正しき行ひをなすとも、其は何のためか究るも分らぬ事ばかりの連続なり。修行修養などなして何になる事ぞ。よしんば我神になりたりとて其は何になることぞ。神になりて何をなすか。たとえ全宇宙を構成したりとて、其は何になる事ぞ。生きて何になる事ぞ。死して何になる事ぞ。考へ見れば考ふる程訳の分らぬことばかり。又これを分りたりとて其も何になる事ぞ。全宇宙の悉くが、すべて何になる事ぞの連続に他ならず。思へば生きんよりは、生きざる底の修行するこそよからん。生きて居りては、何になる事ぞの連続にすぎず。ああ世は無味乾燥なるものなり。生れ来りしも、何になる事ぞの一言に尽るにてはあらざるか。実に馬鹿々々しきことなりと、会ふ人毎に語り居りたり。是を聞きて智者達は大に驚き、彼を如何にかして説き伏せんと、様々苦心なしたれど及ばず。

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