第十七回 「淡々と生きる」  知恵遅れの娘  十月十二日は正観さんの命日だ   小林正観 著作

小林正観さんは2011年10月12日、午前五時四十一分永眠されました。
「知恵遅れの娘」   小林正観
 
  自分の周りの人が病気になったとします。「ああ、私の代わりにあなたが浴びてくれたのね」と思えたら、病気になつたその人に感謝するようになります。
 私の場合、妻が私の発病にあわせるように同じ時期に病気になつた、私の命がそのことで救われたのかもしれないと気が付いたのです。その意味で、妻に対する感謝が深まったのですが、さらに気づくことがありました。妻とは30歳で結婚して、三年たつた三十三歳の時に生まれた長女のことです。今二十九歳になりました。その長女が知恵遅れの子供でした。この子は今も精神年齢が四~六歳ぐらい。最近の知能計算でいうと三歳ぐらいだそうです。後退しました。若返っているのです。この子はいい子で、二十日ぶり三十日ぶりに私が家に帰ると、玄関にダダツと出てきて、ニコニコ笑って「パーパ、お帰り」と抱きついてきます。
「ケイコちゃん、ただいま」と抱きしめると、向こうも「パーパ、おかえり」「ケイ子ちゃん、ただいま」という挨拶の繰り返しになります。この儀式を五分間続けないと家に上げてくれません。この子が生まれたことで我家のいろんな問題を一身に背負ってくれたのかもしれない。そのことを伊勢神宮のありがとう参りのあとで思えるようになつたのです。
 この子が知恵遅れで生まれてくれたことの本当の意味を、私はつい最近まで天皇の言葉を聞くまで、気が付きませんでした。この子は三年間、小林家の災いを全部一手に引き受け呉れていたのではないか。それがこの子の本当の意味だつたのではないかと気が付いたのです。この子が生まれてから、小林家には災いは全くなく、仕事もずっと頼まれ続け、経済的にもそれなりにやってくることが出来ました。妻も病気をせずにやってこられた。妻は会社の経営をしていますが、そこも順調にやつてこられた。そういう風に考えると、この子は生まれながらにして小林家の災いを一手に引き受けてくれた結果、この三十年間、私たちは病気もしないで、仕事も沢山することができたのではないかと思ったのです。ケイ子ちゃんが全部それを一身に背負ってくれたと捉えたら、この知恵遅れの子供に感謝するほかありません。
 もし私たちの周りに病気や障害を持っている人がいたら、それこそその人が身代わりになって、それを浴びてくださっているということです。今親の介護をしている人がいるかもしれません。痴呆状態になつている親を抱えているかもしれません。そういう親を介護する立場の人は「疲れた、疲れた」と言うかもしれないけれど、実は逆かもしれません。この親が、自分のところに降って来る災いを本人の代わりに肩代わりして下さっているのかもしれません。このような考えかたをすると、世の中のありとあらゆる災いが、私にとって有難いことに置き換えられてしまいます。それらすべて、頭の下がる事、手を合わせることに変わってきます。自分の子供が病気や障害を抱えている。それは、私のために肩代わりをしてくださっているという風に思えるのです。

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