第十六回 天皇のひと言 「淡々と生きる」 小林正観さん

小林正観さんの著書「淡々と生きる」より転記


 天皇の言葉の中には、見ず知らずの人も、その辺りを通り過ぎる全く知らない人も含まれいます。私は残念ながらそんな風にはなれない。そこまでは行けない。でも私の友人である目の前にいる六百人のためだったら、その一部を肩代わりをしてもいいと思った。私は、友人たちの為に少しずつ肩代わりをすることで、私の病状が悪くなるとか、死に至るのであれば、それは一向にかまわない。そう結論付けたのです。それが六月三十日です。天皇のような考え方が本当にあるのかと驚いた前年に比べて、少し自分もそつちに近づくことができたのかもしれない、と思った。
 するとその六月三十日以降、めきめきと体力が回復し始めたのです。何が起きているかわかりません。不思議なことに身体に元気が戻って来た。友人たちの為に自分の身体が悪くなってもかまわないと思った時点から、なぜか突然に体調がよくなり始めたのです。体力、気力が回復すると、ちゃんと歩けるようになった。真っ直ぐに歩けない、おどおど、よろよろだつた歩きもしっかりしてきた。気力がわいて、また本を作ろうとか、原稿を書こうとか、一時半の講演を三時間程度やろうとか、久しぶりに五時間講座をやってみようとか、年間300回の講演は無理だが、せめて月に三、四回はやろうというように、気力がぐんと充実してきた。六月三十日を境にして変わってきたのです。

考えてみてください。自分にとって大事な友人がいます。じぶんにとつて愛したい人がいます。その人の為に、身代わりとしてならば、自分が病気になつてもいいと思えるのではありませんか。もしかすると、自分が病気をしたり事故に遭ったりすることは、他の人のマイナス部分を受け止めてその一部分を肩代わりすることに、友人たちの心配事を少なくしているのかもしれません。
私はこの天皇の言葉と、その応用的な広がりとを理解するまでは、病気事故というのは悲しいことであり、つらいことであり、一刻も早く治ったほうがいいものと思っていました。もし治らないのだったら、このまま死んだほうがいいと思っていました。未熟でした。
 天皇の一言は、人間の魂というのはものすごいものだと教えてくれました。ここまで崇高になることができる、日本にはとんでもない人がいた、そういう崇高なことを祈る人がいた、ということに驚愕したのです。天皇の「まず私を通してからにしてください」という一言を私は2010年の六月三十日に知ったのです。その後、2011年三月に東北大震災ありました。天皇は被災地に行って、膝をついて「大変でしたね」と被災した人々に声をかけました。この言葉の重みが普通とは違います。
 私は天皇制を礼賛する立場の人間ではありません。もともと全共闘ですから、天皇制度を否定する立場で生きてきました。でも、天皇がそういう一言を元旦に言っている人であることを考えると、その災いを一身に受けきれなかったという思いが多分あるのだろうと思ったのです。その結果として、被災地の人々前に膝をついて言った「大変でしたね」の一言には、「申し訳ない」という気持ちが括弧でくくられている気がします。「自分の身体で受け止められなかった、申し訳なかった」という、四方拝での言葉の内容が見えるような気がします。そういう目で天皇の動きを見ていくと、申し訳なさがあると思います。

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