第十三回 三蔵法師の凄さ 二回目 最後の著書 「淡々と生きる」 小林正観さん

 小林正観さんの著書「淡々と生きる」より


 口を付けた途端に、老婆はボッと音を発して突然十メートルぐらいの光の柱になった。大きな柱の中に、観音様が立っていた。老婆は、観音様の化身だったのです。
 薄汚れた老婆から姿を変えた観音様は、「玄奘よ。お前はどれほどの人物かがよくわかった」と言います。観音様は玄奘を試したのです。そして、「玄奘。これから、天竺に有難いお経を取りに行くにあたつては、必ずや命がなくなるようなことが何十回とあるであろう。自分の力で切り抜けられる時は、自分の力で切り抜けるがよい。しかし、自分の力ではどうしょうもないないと思ったときは、今これから教える教えを、一心不乱に唱えよ。口に出して、声に出して言え。その声が聞こえてきたら、天上界の我等は、ありとあらゆる力で、お前を守り通す。どんなことがあつても天竺まで連れていく。そして、天竺からここまでしっかり連れ帰る。だから、この言葉だけを覚えておけ」と言いました。そこで観音様が玄奘に教えた言葉が、「般若心経」です。
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄
から始まる「般若心経」は、玄奘が唐の都に帰国してから、「大慈恩寺」というお寺を与えられ、十九年間、ほとんど閉じこもって、サンスクリット語の原典を漢語訳したものの一つです。
 玄奘三蔵の凄さは、往復してきた十七年もさることながら、皇帝太宗が、「貴方は国の宝である」と言い、国民に向かって「玄奘様の仰ることは全部仏の言葉だから、ありとあらゆることを聞きなさい。すべての人が、この人の言うことを聞かなくてはいけない」とお触れを出したほどでした。その状態で十九年間、死の間際まで、漢語訳に明け暮れたというのが、まさに人並みでないところです。
 玄奘三蔵の真価は、私は後半の十九年にあると思います。玄奘三蔵は若さと気力と体力があって、偶然に偶然を積み重ねた結果、観音様が守り通すと言ってくれて、本当に守られて帰ってくることができた。それ自体は、私たちが実際にやるかどうかは別として、もし身体が丈夫だったら、十七年間かけて天竺を往復してくることは出来るかもしれない。しかし、寺に殆ど閉じこもって、十九年年間、ただひたすら漢語訳に打ち込んだというのは、並大抵の気力、体力ではなし得ないことです。
 玄奘は旅の途中で死にかけときに、「般若心経」を一心不乱に唱えています。なぜあのような状況を設定し、観音様を介して、釈迦は「般若心経」を教え込んだのか。
 釈迦の周辺を仔細に調べてゆくと、その事情がわかってきます。釈迦には後世に何か教えを遺したいという気持ちはなかったようです。それが見えてきますが、たった一つ例外があった。「般若心経」だけは後世に遺したかった。なぜかというと、「般若心経」のいちばん大事な部分は「五蘊皆空」というところですが、その意味が後世に正しく伝わると、人々がそれを理解できた瞬間に、あらゆる人間の悩み苦しみがゼロになってしまうという宇宙の法則を、釈迦が知っていたからです。
説摩訶般若波羅蜜多心経
唐三蔵法師玄奘 訳
観自在菩 行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空 度一切苦厄
舎利子 色不異空 空不異色
色即是空 空即是色
受想行識 亦復如是
舎利子 是諸法空相
不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中 無色無受想行識
無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界
無無明 亦無無明尽
乃至無老死 亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
菩提 依般若波羅蜜多故
心無 礙 無 礙故 無有恐怖
遠離一切 倒夢想 究竟涅槃
三世諸仏 依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提
故知般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪
是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚
故説般若波羅蜜多呪
即説呪日
羯帝 羯帝 波羅羯帝 波羅僧羯帝
菩提僧莎訶
般若心経
ぶ�せつ ま か はん に� は ら み� た しんぎ�う
かん じ ざい ぼ さつ
し�うけん ご うん かい くう
し� り し
し� り し
ふ し�う ふ めつ
ぜ こ くうち�う
ぼ だい さ� た
しん む けい げ
さん ぜ し� ぶつ
とく あ のく た ら さん み�く さん ぼ だい
こ ち はん に� は ら み� た
ぜ だい じん し�
ぜ む じ�う し�
のう じ� い� さい く
そく せつ し� わつ
はん に� しん ぎ�う
ぎ� てい
ぼう じ そ わ か

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