覚者慈音224  未知日記第十二巻  大霊界  清浄無垢の人間とは如何なるものか  教主寛大講義



未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                        NO174
   清浄無垢の人間とは如何なるものか  その4
   五大鏡、八大門のこと                                              教主寛大 講述


 汝等の俗言にも玉研かざれば光なく、人学ばざれば智なしと云ふ教へすらあることに心せば、五大鏡の意味は理解することを得る筈なり。汝等諸子の魂は五大鏡に等し。汝等諸子の霊は八大門の法則に従って、はたらきをなし居ることの理もうなづかるるならん。是等の事柄を正しく認識把握して、其によって霊魂心を磨きに磨かば、肉体を有しながらにして天界に移さるることは明瞭なるべし。一旦天界を観望して霊魂心を一体化せしむれば、些細の汚れもよく知るによって、再び汚さるることもあらざるが故に、迷ふことなく天界に移さるることは得らるるなり。五大鏡の何なるかを認識したらば、すべてを映しとりて過去の経路より、来世のところ迄詳細に知ることを得て、ここに初めて迷ひは晴るるなり。迷ひ晴れての後は己が欲するがままに行動せば可ならん。其迄は不自由を忍びて修養修業を重ねずば目的は達しがたし。
 八大門を完全に理解することを得ば、無言詞界大霊界とは、如何なるところかは我等語らずとも、諸子は予知することを得る筈なり。八大門を通過して其中に入ることを許さるれば、其中心は無言詞界大霊界なるによってなり。諸子は地上に長く生き度ば修養修業を怠りて、肉体にのみ健康の増進を計る方法を考究なし居らば、希望は幾分か叶へらるることもあらん。されど修養修業の徳を重ねて、霊魂の結実全くならばその人は年齢の如何に不拘、天界に移さるることを得るによって、肉体などの必要は感ぜざるが故に、架せられたる年月を経過せば、天界に引き上げらるるは当然なり。故に七才の女龍なりとも大悟すれば、天界は是を引き上ぐることもあるなり。大悟したるものは老若男女の区別あることなし。七才にして天界に来り百万千万年の長寿を保ちて尚も死せず嬉々として生活なし居るものもすくなからずあるなり。地上の万年は天界の一瞬にすぎず。諸子は地上にありて万年の齢を保つことあたはざるべし。肉体の尺度には限度あるによって亡ぶる時節来らば、小時も猶予することなく破壊せらるるは自然の法則なり。純潔なる心にて純潔なる魂をみがきて明鏡に化せしめずば、宇宙全宇宙の姿は明瞭に映らざることは諸子も承知なし居るならん。汚れたる心汚れたる魂にて一生を終らば、先にも語りたる如くすべては忘却するが故に、唯浮べる雲の如く飄々として迷ふの他なし。是純潔にあらざるが故なり。汝等諸子は死後は如何になるやとの恐怖をなし居ることは我等よく知る。されど修養修業せずして死すれば其にて終りなり。唯魂が海中に浮かべる海月のごとく、飄々として漂ひ迷ふのみなりと知らば可ならん。さりながら天界には選魂所あり。此処にて捨てらるれば、又もや何等かの形に変じて其より其へと生れかはり行くことは云ふ迄もなし。汝等諸子は己が地上に於て犯せし罪科が死後に至りて、忘却し居るが故に己は何も知らずなり居れど、五大鏡は是を映して明らかに知り居るが故に、選魂所にては修養修業の至らざるものは未熟の魂として、又も他のものに移植せらるるは云ふ迄もなし。

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