宇宙からの訪問者 NO9  小説  高校三年、最後の夏休み

 夏休みの始まる七月頃から、生徒たちは来年の進学を控えて、休み時間でも参考書を開き、寸暇を惜しんで勉強している者が多くなってきた。クラスの友人達の話題も試験のことや進学塾の事ばかりになってきた。二週間前にも、担任と生徒、それに父兄を交えての三者面談が行われ、そのことが否応なく全員の心に受験の雰囲気を醸成していった。面談の結果、同級生たちは僕を除いて全員大学、若しくは専門学校に進学する。先生も僕に大学へ行くように勧めてくれる。しかし、僕は老いた婆ちゃんや身体の弱い母の暮らしぶりを見て、一日も早く楽をさせてやりたく、高校を卒業したら父と一緒に名古屋へ出て働こうと思っている。勉強が特に嫌いなわけではなく、学業はクラスで二位か三位の成績をこの三年間ずっとキープしてきた。クラブ活動は剣道部に所属し、今は主将を務め、この春には初段を認定され、そしてこの秋には県の大会があり、個人部門に出場する予定だ。最後の学生生活故、精一杯頑張ろうと思っている。学校の友達は「よくお前、あんな辺鄙な所で暮らしているな。熊が時々出るんと違うか」とよくひやかしで云う。
 確かに熊は出る。今年はさほど出なかったけれど、特に昨夏の熊の出没は尋常でない程出た。各村々にも熊が現れて人間にも危害を与えている。これは過度の森林開発の為に、落葉樹の伐採と異常気象によって熊の餌が極端に不足しているからだ。そしてキャンプ場などで人間の食べ残しを平気でゴミ箱に棄てるから、それを彼等が漁りに来る。もうこれは人災と天災が混淆しているようなものだ。熊だけじゃない。猿もイノシシも来て、畑の穀物を漁る。一本のトウモロコシを奇麗に食べてくれるなら未だ許せる。しかし猿達はあちらをかじり、こちらをかじりながら、全ての作物を完膚なきまでに全滅させてしまう。昨年は僕の家のとうきび畑も猿達にやられた。おまけに熊は柿の木や栗の木にも登り、すべてを食い尽くした。
作夏、市の猟友会のメンバ-が十カ所位に捕獲するためのドラム缶の檻を設置した。その内何か所かの檻で熊を捕獲した。猟友会の会長はテレビを通じて、動物愛護団体の眼を気にしながら、その熊を射殺することなく、奥山に放免した。人を傷つけた経験のある熊を野に放つのだ。熊は当然村に舞い戻ってくる。このニュースを見て愛護団体の面々は溜飲を下げたであろうけれど、現場に一年三百六十五日暮らす村民の立場を少しでも斟酌してくれたであろうか。僕達は村道で熊と遭遇する危険は以前にもまして増えている。都会のマンションの柔らかい座椅子に座り、音楽を聴きながらポテトチップスをかじり、動物愛護を訴える彼女達の空疎な声に、僕は面と向かって反論してみたい気持ちになる。「貴女方、一度この村に住んでみては如何ですか。勿論、貴女の一番大事な子供さんも連れてですよ」と・・・・・・
 けれど、僕は此処が好きだ。空気は澄んでどこよりも奇麗だ。水は谷川の冷水、天然のミネラルウォーターが豊饒にある。その水は真冬でも豊かに溢れ出て、生活水だけでなく、融雪にも使われている。大雪の時でも道路には一片の雪もないくらいだ。ここ何年も前から春から秋にかけてはその水を求めて、町から車で汲みに来る人が沢山いる。

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