宇宙からの訪問者 NO8  小説  父の信仰について その2

  「今それぞれが何十億年にも渉る自分の過去の姿を見せられたら、きっと全ての人類が一驚を喫するに違いない。その長き足跡を眺めたら、いま置かれている人間の生命の尊さ、有難さをつくづく痛感させられるだろう。そしていま人間としておかれ、その歓楽郷に憧れる気持ちは当然なのかもしれないけれど、この前途にはさらに天上界という大河が横たわっているんだ。いいか、雄哉」
 「旅は未だお互い途上なのだ。その旅を放擲して、この歓楽郷に酔いしれていては、また元の畜生町に逆戻り、更には何十億年前の小動物村に追い返される懸念すら出てくるのだ。
しかも再び人間に生まれくる迄には又も辛苦艱難を要するは必定。神様があって、人間の生命が一代限りとするならば、きっと神は俺達人間に色々の苦しみ、悲しみなどを一切与へ賜はず、すべて喜悦の生活、安寧ななりわいをお与えになり、俺達の短い生涯をそれこそ楽しみの内に終えさせてくれるだろう。しかし、人間の魂は一代限りで生を終えるのではなく、今後無限無窮の生命時間に耐え得る魂の養成、その強化を諮る意味で刻苦勉励を欲求されるのだ」
 「今後、その長旅に迷うことなく一心につき進む為には、神との黙契とも云うべき信仰が必要なのだと思う。神は瞬時も怠ることなく、俺達の生活行動の逐一を御照覧くださっている。俺達が苦しい時、悲しい時を神は共に苦しまれている。人間の親子に於いてさえ、子供の苦しみは親の苦しみになる。ましてをや神の子である俺達にとって、神は一人一人に「頑張れよ!、挫けるな!」と悲しみの涙を流されておられるのだと思う」と


 最近、父は名古屋の仕事場から「父の思い出」と題して二十数ペ-ジにも及ぶ長い手紙を認めて家族宛てに送ってきた。
「我父よ、既にあの惜別の日より時は瞬く間に流れ、一か月有余の時が過ぎ去ろうとしています。果たして御身はいま何処におわすや。今も果たして恙なきゃ。そして微睡める平安なる日々を過ごし給ふや。我の懸命に御身を呼ぶ声、果たして聞こえ召さるるや。乞ひ願はくば、我に一声語りたも、そして御身の今の在所の奈辺にありやを吾に語り聞かせたも・・・・・


 上記の言葉を冒頭に掲げ、爺ちゃんの子供の頃の思い出話から、爺ちゃんの人知れず行った善行、そして死生観などが事細かく連綿と綴られていた。婆ちゃんはそれを仏壇の前で読み上げ、仏前に供えた。「お経をあげるよりも、爺ちゃんはきっとこれを喜ぶよ。輝雄のお陰で、今日はいい供養をさせてもらった」と云っていた。
爺ちゃんが寝ていた部屋は、一階の南側、そこは日当たりもよく、窓を開ければ遠くに霞がかった山々が眺望でき、眼下には谷川の清冽な水の流れが見える。もしもこれが一流の温泉旅館だったら、間違いなく特室になってしまうだろうに。それ程ここは景観には恵まれていた。家は築五十年の草葺きの茅屋だが、この窓から見える景色だけは絶品だ。爺ちゃんは毎日ベッドから、四季の移り変わりを静かに眺めていた。そして軈て迫り来る自分の死をも従容と受け入れ、静かに凝視していたのだ・・・・・

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