未知日記   絶対界   神霊界 魂眼 霊眼について      テツシン貴尊講義   2021.0311

未知日記   第十一巻   絶対界   夢を見る以上心眼はあるなり   テツシン貴尊講義2021.03.11


 肉眼とぢて眠り居る間に夢を見る。たとえ其夢が肉体神経の作用なりとは云へ見るものは見つつあるなり。諸子は是を錯覚とか、神経衰弱なりとか、何々の作用なりとか語り居れど、夢を見るは心の動揺なるべし。心の動揺とは心眼なりとこじつけにはあらざるなり。夢を見る人間なる以上又動物なりとも、すべて生ある以上心の眼を有する事を物語り居るならん。然りとせばその心眼を巧みにはたらかする方法なかるべからず。徒事(いたづらごと)に心を労し居るによって、心の波長は動揺し訳もなきいたづらごとの夢を見るなり。されどその心の眼を有意義にはたらかせなば心の眼は、正しきものを見る力の具備あることを、物語り居ると見なして可ならん。夢を見る以上心眼はあるなり。ここに修養の力を以てその心眼を養成せば、必ずや顕著なる姿に化せらるることは、火を賭るよりも明らかなるべし。錯覚を起すはいたづらごとなり。されどそのいたづらごとのあるも心の眼なりとしてその取扱ひに留意せば、空しき錯覚は忽ち失せて、正しき心眼に化せらるるならん。心眼開らきて魂に化すれば魂眼となり、是を霊にまかせなば即ち霊眼となりてはたらく。耳又然あるなりと知るべし。
 此理より物事を推考すれば絶対原理は即ち無始終霊子を措いて他になかるべし。動と云ふも静と云ふも、理屈の上より考ふる時は絶対と云ふことは成立せざるなり。されど是を無始終霊子に帰せしむれば、凡ては絶対となる関係より考ふれば、何事に限らず無始終霊子に帰らしむれば、ここに至って始めて絶対となる関係ある故なり。

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