未知日記   絶対界   神霊界 魂眼 霊眼について      テツシン貴尊講義   2021.0311



未知日記   第十一巻   絶対界   絶対と相対の関係 テツシン貴尊講義

2021.03.11



 絶対の中より相対をつくるは易く、相対より絶対をつくらんとせば、相対を様々変化せしめざれば望みは達し難し。いささか言葉の到らざるが故に、諸子はすぐれたるものを作らんとして種々様々工夫をなして、変化に変化を与へしめ居るは、相対より絶対に至らしめんとの考へより実行に移し居るにてはあらざるか。絶対より相対を作るならばかかる苦心を要せず。されど相対より絶対に移さんとしてかくも研究なし居るならん。小さき花を大なる花に化せしめんとせば、幾度か滅せしめては現はし、現はしては滅し、繰り返へし繰り返へしその形状を改めしむるにあらざれば、望みは達しがたからん。滅不滅は繰り返へされて、はじめて極致に達す。是を仔細に検討すれば滅不滅は、帰するところ変化したるのみにて滅にはあらざりしならん。故にすべては不滅に帰すと云ふ説も亦成立するにてはあらざるか。相対より絶対と歩みを運ぶとも仔細に検討すれば、絶対の中に含まれ居る相対の道を歩み居るにすぎざるなり。諸子は前進々々と運びを進め居れど、その前進は帰するところ逆進なし居るやも計られざるなり。否退歩なし居るやも計られざるならん。地を一回転なしたる時、前進なしつつもとの位置に帰るとならば、其は前進にあらずして逆進なしたる結果と同様ならん。所謂己に出でて己に帰る姿なるによってなり。相対自然より見る時は前進の如く思はるれど、絶対自然より見る時は前進にも行進にもあらざるべし。唯足を動かしたるすぎず。汝の肉眼は前方を眺めつつ歩みたるに不拘、もとの位置に帰りしならば、その眼は後方を眺め居りしにはあらざるや。心眼と肉眼の相違はここにあるなり。肉眼より見れば地球を一周せしは、前進したる如く感じらるれど、事実然らずとならば唯足を動したるにすぎざるべし。もし心眼開らき居らばかかる無用の時間は空費するの要もなからん。ここに心眼と肉眼のはたらきの相違あるが故に、時間空間距離を有せざる心眼にまかせずば、大なる発見はなしがたからん。心眼に依て是を見きはめ、肉眼によって事実を知る。是即ち絶対の中に相対の含まれあることを語りたるなれば、よくよく是等の事柄に対して研究せられんことを望む。

×

非ログインユーザーとして返信する