未知日記   絶対界   神霊界 魂眼 霊眼について      テツシン貴尊講義   2021.03.09

未知日記   第十一巻   絶対界   魂眼  霊眼   テツシン貴尊講義
2021.03.10


 肉眼には肉眼の任務あり、心眼には心眼のつとめあり。魂眼霊眼悉くみな然あるなり。分を知らずと語り居るは此理に基く。肉眼にて見え難きものを見んとするはそは分度を知らざるが故なり。肉眼に見ゆるものは肉眼にまかせ、其以上のものは心眼にまかせ、心眼に及ばざるものは、魂眼霊眼に委することを分度と云ふなり。例へば肉眼を失ひたる慈音に対して、肉眼にて見よと云ふとも見ゆるものにあらず。慈音は既に肉眼の具備なきが故に、何か他によってそのつとめの代用をなさざるべからず。もし慈音にして分度の認識なければ、彼は徒らに歎くのみにして何等なすところなからん。肉眼を明らかならしめ居る人は、心の眼ををろそかにして、何事をも肉眼にて見きはめんとなすが故に、分度を超ゆること多し。故に是等は分度をわきまへざる人と云ふなり。眼には眼の分度あり。耳には耳の分度あり。人には人の分度あり。汝には汝の分度あらん。その任務をおろそかにして他の分野を犯さんとするが故に悩みは多からん。
 先に語りし家と家主の説の如し。家は黙々として分度を守る。汝の眼、汝の耳、又然あるなり。然るに汝の心は、眼耳に対して分度を守らせず。その分に過ぎたる重責を課するによつて、耳目は苦痛に堪えかねて苦みをなすことに心づかば、心の働かせかたを他に転換せしむる必要は、那辺にあるかを察することを得るならん。肉体を一片の煙となしてのち、如何に声をあげて喚ぶとも、其肉体は汝の目前には現はれざるべし。そは肉眼肉耳の必要なきに化せられたるが故なり。されど神眼にて是を見ば、肉体を有せざるその故人の姿はありありと汝に来り、又汝に語らん。かかる事は近代の学説にては到底信ぜしむること難からん。是等のことは現在の科学にては、未だその域に達し居らざるが故なり。科学進みなば軈ては是等の説も明らかとなるならん。相対自然の理論にまかせ居らば、到底かかることの説明はなし難し。されど絶対自然の理を明らむればすべての事に於てなしてならずと云ふことなし。若しならずとならば其はなさざるが故なり。なせば必ずなると断言して憚らざるものなり。されど相対自然の応用にてはなるものにあらず。このことは注意なしをくべし。故に絶対自然の法則を、充分に理解する学問をなさざれば到底望みは達し難し。
 無限のものより有限のものを作るは易く、有限のものより無限のものを作るは難し。相対と絶対の関係はここにあるなり。

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