未知日記   絶対界   神霊界   天眼地眼通のこと    テツシン貴尊講義   2021.03.07

未知日記   第十一巻   絶対界   絶対の意味     テツシン貴尊講義   2021.03.08


 諸子の思ふ考へは行きづまり或は結末を聯想するならん。其は極端より極端に通ずる一路にして、限りあるが故に有限絶対となる。有限絶対は真の絶対にあらず。我等の語るは無限絶対を指すなり。発端より極致に至るは限度を有す。限度を有する以上絶対とは云ひ難し。限度を有すれば物事は確定す。我等の語るは不確定なるが故に、絶対の範囲は広し。発端より結末として確定したるものは分度によって定まる。故に是等を我等は絶対として取り扱はざるなり。生るれば死すの明らめの絶対は、希望も其にて終りとなる。終りなる意味の絶対ならば、そは訳もなきことにて語るの余地なし。尽きるものは絶対にあらず。尽きざるが故に絶対なりとの意味をよくよく認知せられたし。然らずば我等の語る絶対論は諸子には解することを得ざるが故に、かくもくだくだしく注意なしをくものなり。
 例へば行きづまり絶対、終末絶対の世界ありと仮定して考へ見よ。その居に至らば其にて行きづまりとなり、終りとなる。かかるところに至りて安住することを得んや。終始なき全宇宙なるが故に、永久不変にして絶対となるなり。終始あるは所謂相対絶対にして、先にも語りし行きづまりとなるなり。始めなく終りなければ、即ち尽ることもなく初まる事もなきが故に、此境地こそ絶対なるべし。終始なき全宇宙の絶対自然を認識するにあらざれば、正しき安居楽土の姿とはならざるべし。行きづまり絶対の自然を考ふるが故に、諸子の考へは誤つこと多し。故に危険なる居に処して常に過誤を重ね居ること多からん。是自然を曲解なしたる結果より生ずる現象と知らば可なり。
 例へば諸子の世界の如き小さきものを例にとりて考へ見よ。地球を幾回転なしたりとて尽きる事はあらざるべし。然るに最初ふみ出したる地点を発端として一回転せば、もとの地点に帰りたる時其にて終りとならん。これ限度を有する考へより確定したる絶対となるなり。されどはじめ一歩ふみ出したる処を知らずして歩みなば、幾回転なしたりとて尽きるところなからん。是限度を有せざるが故なるべし。限度を有せずば不確定となるによって尽きるところなし。位置を定め其位置に帰らば確定なるが故に、其は絶対にはあらざるべし。一歩を印したる所に立ち返らば、その発端と終末との間につなぎめあるによって、其つなぎめの中に陥る危険は免がれざるべし。

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