未知日記   絶対界   神霊界   天眼地眼通のこと    テツシン貴尊講義   2021.03.07

未知日記   第十一巻   絶対界  絶対の意味  テツシン貴尊講義
 諸子は結末とか或は行きづまりを絶対と考ふるが故に、我等が説に対して解し難き点多からん。終末とか結末とか或は行き詰まりとなりたる場合を、絶対と考ふる時は我等が語る絶対の意味は、反対となる関係あるなり。我等の語る絶対は永久不変にして、はてしなきを絶対と云ふならば極致とか行き止りとか云へるものとは、従ってそのおもむきを異にす。人となりて何になる事ぞの説は、即ち人の行きづまりがあるによって何になることぞの説は成立す。されど行きつまりなきに対して、何になる事ぞの説はなりたたざるべし。所謂生るれば死すと云ふ言葉にて尽きるならば、其は行きづまりなるが故に、何になる事ぞの明らめは得らるれど、其以上の事が持続するならば何になるぞの説は成立せざるべし。何となれば生れて死し、然してその後又何かありとするならばそこに又新らしき考へを有せざるべからず。その新らしき考へとは未来なるが故に推知することあたはず。故に何になることぞなどの明らめはなし難らん。のみならずそこに一種の新らしき希望の湧き出づるが故に、又も迷ひの念を生ぜしむるが故、更に希望より希望へと続きてはてしなく、迷ひの念を抱きて耐えやらず、何になる事ぞ思ひながらも、進まざるを得ずと云ふ境地にをかるるにてはあらざるか。絶対とは滅するを云ふにあらずして滅せざるを云ふなり。即ち行きつまりにあらずしてはてしなく持続するを、我等は絶対と語り居ることに意を用いられよ。滅にあらずして不滅の絶対を云ふなり。滅するは行きづまりにして、滅せざる絶対なりとの説明なれば、其心して聞かれんことを望む。故に絶対の中に相対ありと語りしはこの意味なれば其心して聞くべし。始めなく終りなきが故に絶対と云ふなり。始めあり終りあらばそは絶対にはあらざるなり。亡びる絶対、亡びざる絶対、この両者を考ふる時我等に云はしむれば亡びるは絶対にあらず、亡びざるが故に絶対なり。

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