未知日記   絶対界   神霊界   天眼地眼通のこと    テツシン貴尊講義   2021.03.09

未知日記   第十一巻   絶対界    テツシン貴尊講義    2021.03.09


 例へば一つの.環をつくりて終始を定めなばつなぎめが現はれて、終始の定めは明らかとなる。されどその環につなぎめを有せずば、何処が初まりにて何処が終りかは知ること難からん。然して始終定まらざるが故に、円満して安らかなるべし。恰も其と同様にして我等の語る絶対とは始終を有せざる環の如きを絶対と云ふ。始終を有する環は有限なるが故に、絶対とは云はれざるなり。されば絶対は曲ぐること難し。是を不動智と云ふなり。是は曲ぐることも亦形を変ぜしむることも難し。されどその不動智の境涯に至らずば、真の自由は得られざるなり。ここに非常にむづかしき理論となるなり。
 限度を有するは絶対にあらずと語りしは何故ぞと云ふに、即ち始めと終りとの相対なるが故に、絶対にあらずと説きたるなり。一つの環に於て始めと終りが相対となり居るが故に、陥り易しと語りしはこの理なり。一つの環は終始なきならば絶対なるが故に、陥る危険はあらざるべし。諸子の世界に於て空間に安住することを得るならば、限度なきが故に何処に至るも危険はあらざるべし。されど地上にありては限度定まるが故に危険なること多からん。されど諸子の世界は空間に安住することは得られざるべし。此理を如何に考ふるや。そはのちの説明によって解することを得ざるが故に、ここに不滅の理論は成立するなり。すべてが空間に存在なし居りて安らかなるに不拘、その安らかなるなるところに住居して危険なる生活をなし居る、世人の姿こそ面白しとは考へざるや。世人の地球は空間に流転なし居るにてはあらざるか。月又然り。星又然り。太陽又然あるなり。すべては空間に生存なし居るにてはあらざるや。然してその地球の地上に住居ながら、回転なし居る世人にてはあらざるや。
諸子は今朝めざめて翌朝は地球と共に一回転なしたるにてはあらざるやに心し見よ。面白しとは考へざるや。ここに到って大自然の妙味を味はふことを得ずば、絶対の何なるかは認知すること難し。先づ是等の説を諸子の考案資料として課しをく事とせん。一工夫ありたきものなり。

 或愚人は語りたり。曰く、地球が回転するものならば我等はいね居て天井に落ちる筈なり。然るに斯ることはあらざるは何故ぞと語りしと云ふ笑ひ話もあるにてはあらざるか。訳もなき言葉なれど大自然の妙味を知るには、味はふべき言葉なるべしと我等は思ふが如何?

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