未知日記   第十一巻   絶対界   第二章    テツシン貴尊講義   2021.02.28

未知日記   第十一巻   絶対界   天眼通と地眼通   テツシン貴尊講義  2021.02.28
 


 諸子の世界には郷に入って郷に従へと云ふ言葉あらん。此意味は分に応じて、分に従へと云ふの意味ならんと思ふなり。人と人との約束は相互に自由を得んとての約束にあらざれば、相互守らるるものにあらず。故に約束はかたく守るべしと語りしも是なり。されば自然の法則に合ひたる約束にあらざれば、真の自由は得られざるべし。諸子の世界の法則は不自然なる約束多きため真の自由は得られざるなり。今や諸子の世界は自国を中心として、他国に及ぼす法則を広めんとなし居る故に、主義主張を異にして争闘の絶間なく、不自由なる世渡りを続け居るにてはあらざるか。かかる事にては何時か平和は望まるべき。自国中心主義は恰も、自己中心と同様なるが故に、我儘気儘の勝手主義となるこは、火をみるより明らかなり。是自然にそむき居るが故なり。大自然の法則とはかかるものにあらず。中心を全世界全人類をかざれば正しき自由とはならざるべし。偏りたる処に中心のあるべき道理なし。彼我共に中心の位置にをかれあるにあらざれば、正しき自由は得られざるべし。いささか言語の到らざるが故に諒解に苦むならん。されど字句などに囚はれず、その大体より推測して考究せられんことをここに注意す。
 自然に従ふにあらざれば法は通ずるものにあらず。自然に反すれば法は得難し。天願通とか地眼通とか云へる法も、すべて自然に順じてはじめて得らるるものにして、是に逆行すれば暗黒となりて通ぜず。諸子が日々の行為はすべて自然に遠ざかりつつあるが故に、道も自ずと遠ざかりために天眼地眼の眼(まなこ)は開らかれず。故に未来を観望することを得ざるなり。天願とは未来を指し、地眼とは過去を指す。かくすればかくなると云ふ結果を見通すは、天眼にして、我身今日に至りたるは過去の斯々なりしより現はれし結果なりと察することを得るは、是地眼のまなこ開らけたるなり。過去を知らず未来を知らざる人類は危ふし。

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