未知日記   第十一巻   絶対界   第二章    テツシン貴尊講義   2021.02.28



未知日記   第十一巻   絶対界  神霊界   神霊界の人類は己の身体を万億に分身することが出来る    テツシン貴尊講義    2021.02.28


 かく語らば諸子は霊空界或は神霊界の人種の形は如何なるものかと不審するならん。されどかかることは事実に於て見ることを得ざれば、語るも詮なし。故にかかる事は知らずとも可ならん。人類の姿はたとひ如何なる形を有するとも、かかることはものの数にあらず。故に諸子は如何にとも錯覚作用を起して、其に依って想像するも可ならん。又人種の姿なぞ知らずとも己が修養の為には、何等差支なきが故なり。兎に角、霊空界を離れて神霊界の位置に到達せば、自由自在の姿となりたるによって、一体万化なすことを得るに依って分身法は自由なり。一つの身体を持ちながら万億の姿を作り得るによってなさんとすれば、如何なる姿をも自由に作り得ることを得るなり。是即ち限度を有せざるが故なりと知るべし。霊空界の人種は未だ職衣を纏ふが故に変化することは自由なれど、己の分野を超えたる事はなすことを許されざるなり。そは限度を有するが故なりと知るべし。大自然の法則は先づ斯くの如し。
 大自然の自由と諸子の考ふる自由とはその意味を異にすと語りしは是なり。諸子は自由と云はば自己を中心として、我儘気儘の行為をなすことを自由と考ふるが故に、却て正しき自由を認識することを得ざるなり。自己のみが勝手気儘の行為をなして、他を束縛するが如きは是真の自由にあらず。斯る事は大自然の法則より見る時、自然に順ずるにあらずして自然を曲げんとする策略にすぎず。故にかかる事は許されざるなり。大木を曲げんとすれば曲ぐ事は難からん。曲ぐるには又其々の方法を用いざるべからず。唯訳もなく法に従はずして曲げんとすれば折れて用をなさざるべし。故に我儘気儘は恰も大木を曲ぐるに等し。許されざるは当然なるべし。

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