未知日記   第十一巻   絶対界 神霊界の覚者  第二章  テツシン貴尊講義   2021.02.28



未知日記   第十一巻   絶対界    神霊界の覚者  テツシン貴尊講義 2021.02.028
 
 諸子の肉眼は不自由なるが故に、機械を用いずば見る事難し。其機械を作るものは何ぞ。即ち智慧なるべし。智慧によって機械を作り然して肉眼の不自由に自由をあたへしめ居るにてはあらざるか。何万分の一のものを見んとせば、其に相当するめがねを作りて肉眼に与へずば見ることすら難からん。然るにその何万分の一なるものを作らするは何なるかを考へ見よ。即ち智慧なるべし。智慧そなはらば肉眼に見えざるものを、発見することを得るにてはあらざるか。智慧は何によって進みしやをよくよく研究し見よ。智慧を見る機械は何によって造らるるや。汝の智慧を測定する機械が仮に造られたりとして考へ見よ。その機械を考案したるものは是又智慧なるべし。その智慧を更に奥深く追及して考ゆればいづく迄捜索すともきはまりなからん。智慧とは何ぞ。是等は機械によって知る事は難からん。肉眼肉耳の必要なければ機械も亦必要なかるべし。諸子の文化文明など語り居るはすべて肉体本位なるべし。もとより肉体のそなはりある以上、肉体に対しての用具は完備せざるべからず。されど是等のものに対して又多方面より考察するならば、肉体を安んぜしむる底のものにて一生を過さんととならば、其は微々たるものにして人間として真文化は得られざるべし。何処が最高の頂点なるかを知らんが為に智慧を磨くならん。智慧を磨かん為の方法としてすべての機械を、或は科学を応用して其によって、その頂上をきはめんとして計り居るにてはあらざるか。もし諸子にして肉体の要なければ機械の要もなからん。肉体のそなはりある間に、人間最大の地点に、到達せんとして学し居るにてはあらざるか。人身永からず。故に幾代かの変化によって、向上の道を歩み居る事は、帰するところ智慧を以て霊を計らんとするに他ならざるなり。所謂最大最高の人類とは何かを究めんとするは、諸子の思ふ科学なるべし。
 ここに注意すべきことは諸子の脳裡に有する想像力なり。諸子の想像力より推察するとき衣を纏ふと云ふことに対しての考へは、即ち諸子が己の肉体を想像しての考へよりすべてを考察するならん。されど我等が語る衣を纏ふと云ふはかかるものにあらず。所謂衣とは限度を有する人間なりと云ふ事にして小さき姿を指すにあらず。衣を纏ふものは限度を有するが故に、その限度に依ってきはまりありと云ふの意味なり。既に神霊界の人種とならば、
衣を脱ぎてすべてにあたるとの意味は、限度を有せざる人種となりたると云ふことにて、形を聯想する時はその意味は認識すること難し。衣とはその程度に従って架せられたる任務を衣と思はば可なり。衣を脱げば何事に限らずすべてにあたるが故に、その範囲はきはめて広し。故に衣を脱ぐと云ふは限度を有せざる人種なりとの意味なれば、その心して我等が説を聞かれんことをここに注意す。霊空界人種は職衣を纏ふと語りしはこれなり。世人が思ふ如き肉体に纏ふ衣にあらざれば、その心して聞かれんことを

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