未知日記   第十一巻   絶対界   第二章    テツシン貴尊講義   2021.02.27

未知日記    第十一巻    絶対界    神霊界    テツシン貴尊講義  2021.02.27



 例へば諸子の世界にて見る時皆其々に架せられたる天分あるが故に、皆其々異なりたる任務をなし居るならん。恰も其に類する事は神霊界の覚者と、霊空界の人類との相違の如し。霊空界の人類はたとえば医者は医者、学者は学者としてのはたらきのみをなすにひきかえ、神霊界は医者も学者もみな悉く一人にて是をなし得ることを得るなり。其は職衣を纏ふものと、職衣を脱ぎたるものとの相違あるが故なり。さりながら斯る事をなし得らるるものと雖も、是等はみな神にはあらざるなり。諸子は斯る事をなし得るものに対して、神と思はば其は誤解にして、是等もみな神の命によってその法を授けられて、はたらき居る任務者(つとめにん)に他ならず知るべし。偉大なる神なかりせばすべての法は行ふこと難し。法を生み行を生む父母なくんば、全宇宙は保たるるものにあらず。故に全宇宙の父たり母たるものこそ、其は神にしてその生み出されたるすべての法力行力を以て、是を支ふる役目を架せられたるものは、皆其々の任務者にして、謂はば神の下僕神の使用人に過ぎざるなり。既に霊空界或は神霊界の覚者に迄上りたるものは、神を知ると云ひしは是なり。
 神とは無明無光の姿の光明なるが故に、この程度迄進まずば知ること難し。既に神霊界の覚者の姿は、暗中の暗光に等しく、諸子の眼にては見る事すら難かるべし。所謂是等の人種は暗中暗光、明中明光にして、何れを其と定むる事あたはざる底にまで、化せられたる人類と知らば可ならん。形あるが如くなきが如くと云はば諸子は空零如く感ぜられるならん。されど事実は然らず。霊眼を開らきなば明らかに見る事を得るなり。霊耳を開らきなば明らかにその声を聞く事も得るなり。諸子は肉体を有する間に霊眼霊耳を開らく修行をなさば、その居に居ながら是等のものを見る事を得るなり。心眼心耳にては見ること難し。又魂眼魂耳にても朧気にして、明瞭に見る事も難からん。故に霊眼霊耳ならざるべからず。不徹底なる言葉にて定めし諸子には解し難からん。されど斯く云ふの他なし。一々比喩を以て語る事は易けれど、比喩にては却て正しき事を、そのままに悟らしむる事あたはざるが故に、不徹底とは知りながら斯く語るの他なきなり。

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